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桑田佳祐の同級生らが明かす秘話…茅ヶ崎サザン散歩

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週刊朝日

サザン佳祐ドック(撮影/写真部・岸本絢)

サザン佳祐ドック(撮影/写真部・岸本絢)

 映画「茅ヶ崎物語」全国公開で、俄然脚光を浴びる街。その魅力を探るべく、ゆっくりと歩いてみた。桑田佳祐6年ぶりのアルバム「がらくた」を聴きながら。行く先々で、若き彼のエピソードを教えてもらった。

【写真特集】桑田佳祐ゆかりの店巡り 茅ヶ崎C調散歩

茅ケ崎駅南口から南西に伸びる一角は、その名もサザン通り商店街。サザンオールスターズの歌が流れ、街灯には曲名が記されている。そのうえなんと、サザン神社まであるのだ。

神社建立(?)に尽力した茶商小林園の小林健二さんが語る。

「サザン結成30周年(2008年)に合わせて、ノリで作ったんです。商店街の事務所の壁に、厳島神社の写真を貼りつけただけですけどもね(笑)」

弟が桑田佳祐と幼稚園から中学まで同級生だったため、小林さんは彼のことをよく知っている。

「中学時代は野球部で、王や長嶋の真似をしていました。でも野球よりボウリングが得意で、当時茅ヶ崎にあったパシフィックホテルのボウリング場に通い、ジュニアの大会で優勝したほどの腕前でした。演歌が好きで、弟と一緒にレコード店に行った時には、前川清のLPを買ったそうです」

今でも親交は続いている。

「私ががんになった年の翌年に、桑田君もがんになったんですね。励ましのメールを送ったら、『お兄さんこそ大丈夫ですか?』と返信があって。本当に義理堅く律義な男なんです」

桑田がレコードを買ったCHIYAMA、焼きそばを食べた大黒屋、汐路など、ゆかりの店がどんどんなくなっている。街巡りをするなら今だ。

【1】地巡礼の旅はここから「サザン神社」
商店街の事務所を改装。地元にある厳島神社から許可を得て奥の壁に同神社の写真を貼りつけ、シャッターを利用して鳥居を作った。ファンが色を塗った段ボール製神輿もある。当初は日曜だけ開けていたが、あまりの人気に毎日開けることに。ここで結婚式を挙げたファンもいるとか。取材中にも30代男性が参拝(?)にやってきた。茅ヶ崎市共恵1‐11‐13

【2】夫妻が結婚指輪を購入「時宝堂」
「桑田さんは原坊と二人で店に入ってくるや、いきなり『15番と9番の結婚指輪をください』と。びっくりしました」と、店主の麻生正隆さんは苦笑する。麻生さんの兄が家庭教師として桑田に英語を教えた縁もあって、桑田は母へのプレゼントとして時計を買ったことも。二人の結婚指輪のレプリカを用いたネックレス1万5000円。茅ヶ崎市共恵1‐6‐26 

【3】祭りに備え半纏など一式をそろえた「ライオン堂」
「桑田さん、原さんのお子さんが1歳くらいの時でしたねえ。一家3人でいらっしゃったんです」と、店主の三橋節子さん。浜降祭(はまおりさい)を前にした時期で「お子さんのために、半纏、金太郎の腹掛け、豆絞り、鈴を買っていかれました」。子供用半纏一式3000円。土産用のオリジナルタオル、手ぬぐい各1300円、暖簾3300円。茅ヶ崎市中海岸1‐1‐46

【4】ダジャレネーミングの菓子多数「エトアール洋菓子店」
2000年のサザン茅ヶ崎ライブを機に「サザンロール」を作ったら大ヒット。ファンからの「もっと出してほしい」という声を受け、「いとしのジェリー」「生チョコの海岸物語」などを発売。桑田に商品を贈ったところ、丁寧な礼状が届いた。「サザン・サブレ」108円、ダジャレ商品詰め合わせ「勝手にシンドバッグ」1080円が人気。茅ヶ崎市共恵1‐7‐17 

【5】サザン通り商店街仕掛人の店「茶商小林園」
サザン神社のはす向かいにある。店主の小林健二さんの弟は桑田と同級生で、野球部仲間。桑田はここに遊びに来たうえで、当時向かいにあった焼きそば屋・汐路で食事した。小林さんは00年のサザン茅ヶ崎ライブに合わせ、抹茶もブレンドした深蒸し茶・茶山(さざん)を発売。桑田に贈るたび、原由子から礼状が届くという。茶山100g1080円。茅ヶ崎市共恵2‐1‐40

【6】部活の後で必ず寄っていた 「清月」
桑田の中学時代の通学路に建つパン屋。店主の高橋ツナ子さんが回想する。「部活が終わるとおなかが空くんでしょう。5~6人で寄るんですよ。特別に、魚肉ソーセージとレタス、トマトを挟んだドッグを作ってあげました。高橋さんは7年前に夫をうしなった。すると「便箋5枚の手紙が来て。『清月の灯を消さないように頑張れますか?』と書かれていて、泣いちゃいました」。サザン佳祐ドック160円。茅ヶ崎市東海岸南2‐1‐38

【7】同じ野球部で汗を流した同級生が営む「萩園ふとん店」
萩園ふとん店の店主・鳥居久訓さんは中学時代、桑田と同じ野球部で汗を流した。ポジションはセカンド。ピッチャーだった桑田について聞いたみた。
「OBがコーチをしてくれてたんですけど、その人はサイドスローに転向させるのが好きで、桑田君も横から投げるようになりました。コーナーを丹念に突き、低めにボールを集めて、打たせて取るピッチングでした。おかげで私のところによくゴロが飛んできました。変化球はカーブくらい。当時としてはそんなもんでしょう。厳しいチームで、正月くらいしか休まない。1年中練習をしていました。でも3年の時は強いチームと当たったため、たしか市の2回戦で負けてしまいました」

週刊朝日 2017年9月22日号


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