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池波志乃 中尾彬に「浮名を流すくらいじゃないと困る」

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週刊朝日

中尾彬(なかお・あきら)(左)/1942年、千葉県生まれ。61年、武蔵野美術大学油絵学科へ進学するも、同年に日活ニューフェイス(第5期)に合格し映画デビュー。その後、劇団民藝を経て、71年からフリーとして活動。70年に最初の結婚をし、息子をもうけるも離婚。78年に志乃さんと結婚する。定期的に絵の個展も開いている。近作に映画「龍三と七人の子分たち」「ヒロイン失格」(ともに2015年)ほか、ドラマやバラエティーで活躍。
池波志乃(いけなみ・しの)(右)/1955 年、東京都生まれ。落語一家に生まれ、高校を中退し、俳優養成所に入所。74年から女優として本格的にスタート。83年に「丑三つの村」での大胆な演技が話題に。90年代半ばから演劇活動から離れ、現在はタレントとして活動するほか、書評家やエッセイストの顔も持つ。(撮影/写真部・大野洋介)

中尾彬(なかお・あきら)(左)/1942年、千葉県生まれ。61年、武蔵野美術大学油絵学科へ進学するも、同年に日活ニューフェイス(第5期)に合格し映画デビュー。その後、劇団民藝を経て、71年からフリーとして活動。70年に最初の結婚をし、息子をもうけるも離婚。78年に志乃さんと結婚する。定期的に絵の個展も開いている。近作に映画「龍三と七人の子分たち」「ヒロイン失格」(ともに2015年)ほか、ドラマやバラエティーで活躍。
池波志乃(いけなみ・しの)(右)/1955 年、東京都生まれ。落語一家に生まれ、高校を中退し、俳優養成所に入所。74年から女優として本格的にスタート。83年に「丑三つの村」での大胆な演技が話題に。90年代半ばから演劇活動から離れ、現在はタレントとして活動するほか、書評家やエッセイストの顔も持つ。(撮影/写真部・大野洋介)

 ストールをねじって首に巻く独特のスタイルから「ねじねじ」の愛称で親しまれる夫・中尾彬。ドラマや映画ではこわもてな役が多いが、13歳下の妻・池波志乃とのおしどり夫婦ぶりでも知られている。出会いは40年前。妻は最初から夫を「品定め」していたという。夫より数段上手、かもしれない──。

*  *  *
妻:出会いは1977年。テレビの時代劇での共演です。

夫:志乃は22歳、僕は35歳。酒の話から知り合ったんだよね。当時は日本酒ブームで「越乃寒梅」が幻の酒だった。「おれ昨日、それ飲んだんだよ」って撮影の合間に話をしたら……。

妻:「そんなの私、しょっちゅう飲んでるわ」って(笑)。父のなじみのお店を教えてあげたんです。

夫:で、一緒に飲んだ。普通なら男のほうから「もう一軒……」となるんだけど、志乃のほうから「もう一軒、行きましょう」って。「どこへ?」と聞いたら「神田で芸者あげましょう」だって。

――妻の祖父は五代目古今亭志ん生。父は十代目金原亭馬生で、叔父は三代目古今亭志ん朝だ。落語一家に生まれ、子どものころから花柳界を身近に育ち、“粋な世界”に通じていた。

夫:僕も実家が木更津で、年中芸者はあげてましたけどね。22歳の女の子がそんなこと言うとは珍しいなと。

妻:神田の芸者衆は父がかわいがってた人たちで、私も友達だったんです。要するに私は彼女たちに品定めをしてもらったんです。「いいと思う人を連れていくから」って。みんなに順番に見てもらって廊下の端で「どう思う?」って聞いたら「いいんじゃない?」。

夫:僕も芸者衆の扱いには慣れてましたしね。結局、不良が不良を呼ぶんだよ。

妻:たしかに(笑)。

――当時、夫はプレイボーイと評判だった。何が妻のお眼鏡にかなったのだろう。

妻:とにかく話が合ったんです。本も演劇も。本を貸してくれたの覚えてる?

夫:赤江瀑さんの。

妻:そう。私は人から本を借りたら汚さないように包装紙でカバーをかけるのが習慣だった。それでカバーをかけたまま返したの。


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