まつりさんの母、幸美さん(54)が初めてインタビューに応じ、ジャーナリストの今西憲之氏に4時間、思いのたけを語った。(※イメージ)
まつりさんの母、幸美さん(54)が初めてインタビューに応じ、ジャーナリストの今西憲之氏に4時間、思いのたけを語った。(※イメージ)

 2015年のクリスマスの朝、電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24)が過労の末に自殺した。昨秋、労災が認定され、厚生労働省から強制捜査を受けた電通は社長が辞任。正式に遺族に謝罪した。まつりさんの母、幸美さん(54)が初めてインタビューに応じ、ジャーナリストの今西憲之氏に4時間、思いのたけを語った。

 祭壇には、まつりさんが使っていたハンカチ、大好きなお菓子。愛用していたベッドにはパジャマやドレスなど。周囲はたくさんのお花であふれる。

「毎日、頭に浮かぶのはまつりのことばかり。仕事していても、寝る時も、夢の中でもまつり。ついこの間まで元気だったまつり。死んでしまったなんて信じられない」

 そう涙ながらに話すのは、大手広告会社、電通の新入社員で、長時間労働、パワハラが原因で自殺に追い込まれた、高橋まつりさんの母、幸美さん。

「まつりと一緒にいるようで……」

 手には、まつりさんお気に入りのTシャツが握られていた。

 私も幸美さんと同じような気持ちだった。週刊朝日編集部で走り回り、元気いっぱいアルバイトしていたまつりさんの姿が目に浮かんだ。まつりさんは、静岡県で育ち、東京大学文学部に進学した。東大の合格発表の時、テレビ局のインタビューに、「週刊朝日に入りたい」とまつりさんが言ったことが縁で、週刊朝日編集部でアルバイト。インターネット放送のアシスタントをしていた。

 電通に入社したのは2015年4月だった。

 まつりさんが残した「就活ノート」には電通以外に、商社、マスコミ、証券会社など著名な会社のメモが数多く残されていた。

 そんな中から電通の内々定が出たのは入社1年前のこと。

「決まったよ、電通」

 まつりさんは幸美さんにとても弾んだ声で電話してきた。

 週刊朝日編集部でアルバイトをしていた理由は、将来は出版社で働きたいという希望からだった。私にもよく原稿の書き方などについて「取材」するほどだった。

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