“寂しい幕引き”加藤紘一氏死去「総理にしたかった」と野中氏が涙 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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“寂しい幕引き”加藤紘一氏死去「総理にしたかった」と野中氏が涙

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2000年の「加藤の乱」で涙を浮かべた加藤紘一氏 (c)朝日新聞社

2000年の「加藤の乱」で涙を浮かべた加藤紘一氏 (c)朝日新聞社

 波乱の政治家人生を送った加藤紘一元自民党幹事長が9月9日、亡くなった。77歳だった。

「惜しい人を亡くした。加藤さんが幹事長の時、私は幹事長代理としてお仕えし、本当に魂の触れ合う仲だった。総理にしたかった政治家だった。足を引っ張られる形で政界を辞めなくてはならなかったのは悲しいこと。心からご冥福をお祈りしたい」

 加藤氏の訃報を聞いた野中広務元官房長官(90)は、本誌の取材に声を詰まらせた。

 加藤氏は山形県鶴岡市出身。東大卒業後、外務省に入省し、1972年の衆院選で初当選。防衛庁長官、官房長官、党幹事長など政府や党の要職を歴任し、宏池会のプリンスとして「将来の首相候補」として注目を集めた。

 竹下登元首相が率いた経世会(現平成研究会)に対抗し、加藤氏は小泉純一郎氏、山崎拓氏と「YKK」を結成。「政官財と癒着している」として、当時の竹下・金丸支配に異議を申し立てた。

 そんな政界のプリンスは2000年秋、森喜朗首相(当時)に反旗を翻し、辞任を迫った「加藤の乱」を起こしたが、直前になって不信任案の採決に欠席。加藤氏は一人で本会議場に乗り込む構えだったが、一番の子分、谷垣禎一前幹事長が「加藤さんは大将なんだから、行っちゃダメだ」と涙ながらに説得する場面はテレビで何回も放送された。


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