サンドロ・ボッティチェリ《ラーマ家の東方三博士の礼拝》 1475年頃、フィレンツェ、ウフィツィ美術館Gabinetto Fotografico del Polo Museale Regionale della Toscana. Su concessione del MiBACT. Divieto di ulteriori riproduzioni o duplicazioni con qualsiasi mezzo
サンドロ・ボッティチェリ《ラーマ家の東方三博士の礼拝》 1475年頃、フィレンツェ、ウフィツィ美術館Gabinetto Fotografico del Polo Museale Regionale della Toscana. Su concessione del MiBACT. Divieto di ulteriori riproduzioni o duplicazioni con qualsiasi mezzo
ヤマザキマリさん(撮影/遠藤智宏)
ヤマザキマリさん(撮影/遠藤智宏)

 ボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、カラヴァッジョ。日本イタリア国交150周年を迎える今春、ルネサンスを代表する画家の名作が続々と来日している。

 17歳で単身イタリア・フィレンツェに渡り、国立アカデミア美術学院で油絵と美術史を学んだ専門家で、ローマを舞台にした「テルマエ・ロマエ」の大ヒットでも知られる漫画家・ヤマザキマリさんが、ボッティチェリの愛すべき“変人”ぶりと、イチオシ来日作の楽しみ方を伝授します!

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 ボッティチェリは、生粋のフィレンツェっ子。

 当時のフィレンツェは金融業者のメディチ家が権勢を握っていて、その強い経済力によって独自のルネサンス文化が花開いていました。そんなバブルの時代に、イタリア的大家族でマンマの愛に包まれて育った下町育ちのお調子者の職人、といえるのがボッティチェリです。“豪華王”と呼ばれた時代の寵児(ちょうじ)・メディチ家のロレンツォが、彼の最大のパトロンであり、一緒に飲んだり楽しんだり、時には難しいこともしゃべりあえる、良い友人でもありました。だからずっと結婚しなかったんだと思います(笑)。

 絵もその性格を反映して、ものすごく明るくてキラキラしている。当時の人々が部屋に飾りたいと思った気持ちがわかります。輪郭線を描いた初めての画家という点でも、時代の風潮に合うものしか描いてはいけないなかで斬新な「美人画」という流行を生み出したという点でも、日本の浮世絵や漫画的な要素の強い画家だと思います。日本で人気があるのもうなずけますね。

 何より最高なのは、彼が描くおじさんの顔! 眉間のシワとしっかりしたアゴに深みがって、だけどどこか淋し気な憂いがある。私のおじさんの画風は、彼の絵からも影響を受けているかもしれません(笑)。

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