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清原和博「家に帰りたい」と泣き虫だったPL、西武のスター時代

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(更新 2016/2/10 11:30)

PL学園時代、左は桑田氏 (c)朝日新聞社

PL学園時代、左は桑田氏 (c)朝日新聞社

 薬物使用を噂されていた清原和博容疑者(48)が2月2日、逮捕された。スーパースターが破滅に至った軌跡を総力取材した。

「高校時代から清原は涙もろい、気が弱い子だった。だから表では虚勢を張る必要があったんだろう……」

 大阪・岸和田リトルシニアリーグで活躍した清原容疑者をPL学園高校に誘った井元俊秀氏は肩を落とす。

 天理高校への進学が決まりかけたが、井元氏らの尽力で1983年に入学すると、1年生にして4番打者として夏の甲子園に初出場。優勝を果たした。同級生の桑田真澄氏とは「KKコンビ」と呼ばれ、甲子園は春夏5季連続で出場。歴代最多の計13本塁打を放った記録は今も破られていない。後輩で野球解説者の野村弘樹氏は振り返る。

「先輩というより『雲の上の存在』でしたね」

 だが、繊細な性格だった。1学年先輩でNPO法人「ホームベース」代表の清水哲氏は証言する。

「高校時代に桑田の涙は見たことがないけれど、清原はしょっちゅう泣いていました。寮にお母さんから電話があると『家に帰りたい』とホームシックで泣く。試合で負けると泣いていた」

 86年にドラフト1位で西武ライオンズに入団し、1年目には高卒新人記録の31本塁打で新人王を獲得。89年には史上最年少で100号本塁打を達成、90年には史上最年少の23歳で1億円選手となるなど次々と記録を塗り替えたが、「無冠の帝王」に終わった。

 友人らが口々に振り返るのは、人情に厚く、面倒見のいい清原容疑者の一面だ。


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