デヴィッド・ボウイ遺作PVに潜む山本寛斎との思い出 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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デヴィッド・ボウイ遺作PVに潜む山本寛斎との思い出

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 変革と挑戦を続けた英国人ロックシンガー、デヴィッド・ボウイが1月10日、死去した。新譜「★(ブラックスター)」を発表した2日後だった。享年69。服のデザイナーとしてだけでなく、イベントプロデューサーとしても活躍中の山本寛斎さん(71)は、ボウイとの出会いをこう思い出す。

*  *  *
 ボウイがロンドンでデビューした頃の服装は並レベル。私の服を着て、脱皮したと思っています。私の服を着て舞台に上がったボウイは最高に輝いていた。

 1971年、ロンドンで開いた私のファッションショーで、プロデューサーを務めていた高橋靖子さん(以下、ヤッコさん)が翌年、ボウイにめぐり合ったことからすべては始まりました。ヤッコさんが、私の服を最初に彼に薦めたんです。でも当初、私は彼のことをまったく知らなかったんです。

 73年2月、コンサートで私の服を着てアメリカデビューする前日、ヤッコさんから国際電話がありました。

「すごい人のデビュー。凄まじい状態よ。すぐに来て」

 取るものもとりあえず、ニューヨークに飛びました。そこで初めて、自分の服を身に纏(まと)って歌うボウイを見たんです。衝撃的でしたね。

 歌舞伎の「引き抜き」の技法を使い、ヤッコさんが黒衣になって、彼の衣装を早変わりさせ、中から違う衣装が現れると、会場はどよめきに包まれました。

 ニューヨーク公演の成功後、私の名前も欧米でやたら有名になり、ミック・ジャガーやスティービー・ワンダーらも、私に会いにくるようになりました。ボウイの初来日公演(73年)も私の衣装でした。


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