「次の時代は来ない」 司馬遼太郎が感じた日本の緩み (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

「次の時代は来ない」 司馬遼太郎が感じた日本の緩み

このエントリーをはてなブックマークに追加
週刊朝日

司馬遼太郎が感じた日本の緩みとは…(※イメージ)

司馬遼太郎が感じた日本の緩みとは…(※イメージ)

 数々の名作を残した歴史小説家・司馬遼太郎さんが1996年2月に亡くなってもうすぐ20年。週刊朝日ムック「没後20年 司馬遼太郎の言葉」が好評を博している。しかし、彼の言葉を追うと今の日本への憂いを感じる。ニュースに言及した作品を読み直し、その時々の思いを考えてみたい。

『街道をゆく 台湾紀行』では、司馬さんは「公」と「私」にこだわっている。『台湾紀行』の取材をサポートし、その後論説委員長も務めた吉田信行・産経新聞台北支局長はいう。

「蒋介石の権力も『私』であり、毛沢東も『私』。中国の王権が『公』であったことはいちどもないとお書きになっています。当時の李登輝総統との対談のなかで、国家には適正サイズがあるとし、北京の政府だけでヨーロッパよりも広いところを統治するのは無理な話で、どうしても粗暴な国内帝国主義になるとも話されています。その文脈で、台湾の未来も愛情をもって心配されていました。中国だけでなく、伝統的な儒教社会には必ず腐敗が起こる。『公』より『私』がはびこることに、長年関心を寄せられてきたと思います」

 司馬さんの物の見方の根幹にあるのはイデオロギーではない。

「重要なタテ糸は常に『公』なんですね。公の観点から中国問題も土地問題も見ています。中国が現在、南シナ海などで国土を拡大しようとする動きを見たとしたら、おそらく公の観点から批判されたでしょう。土地問題については、ぬやま・ひろしさんとの対談『土地は公有にすべきもの』も同じ観点だと思います」

 ぬやま・ひろし(西澤隆二)さんは詩人で、元は共産党中央委員だったが66年に除名、76年に死去した。正岡子規の養子の正岡忠三郎さんの友人で、『ひとびとの跫音』の重要な登場人物でもある。


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

続きを読む

関連記事関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加
あわせて読みたい あわせて読みたい