昨年、福島県伊達市の仮設住宅を訪問する信子さま (c)朝日新聞社 @@写禁
昨年、福島県伊達市の仮設住宅を訪問する信子さま (c)朝日新聞社 @@写禁

 皇居内の「宮中三殿」で10月2日午前、結婚式を控えた高円宮家の次女、典子さま(26)=現・千家典子さん=が皇室の祖神などに別れを告げる「賢所皇霊殿神殿に謁(えっ)するの儀」が執り行われた。静粛な雰囲気の儀式には、常陸宮妃華子さま(74)や高円宮妃久子さま(61)ら女性皇族方が立ち会っていたが、めでたいはずの席にそぐわない光景が見受けられた。

 三笠宮家の彬子さま(32)は伏し目がちで今にも倒れんばかり。その右腕を、隣に座る妹の瑶子さま(31)がずっとつかんでいる。まるで、体調不調の姉を支えるかのように。儀式に立ち会った宮内庁関係者が振り返る。

「彬子さまは涙を流されていたんです。それを励ますように、瑶子さまが声をかけていました」

 実は、彬子さまの左隣には母である寛仁親王妃信子さま(59)の姿があった。だが、信子さまは、うつむく娘を気にするそぶりをまったく見せなかった。涙を流していたことさえ気づいていたのかもわからない。彬子さまの異変を察した華子さまや久子さまが心配そうな表情を浮かべて気づかっていたのとは対照的だった。

 なぜ母と娘たちはぎこちなく見えたのか。その理由について関係者が口をそろえるのが、信子さまの存在だ。長く「ストレス性ぜんそく」で療養中だが、この日は久々に儀式に出席した。別の宮内庁関係者がいう。

「信子さまは宮家のことは娘たちに任せきりで、寛仁親王殿下の闘病や葬儀にもかかわらなかったんです。にもかかわらず何事もなかったかのように今回は姿を現した。首をかしげた出席者は少なくないでしょう」

 信子さまは、明治の元勲である大久保利通を親戚に持ち、九州財界を代表する名家に生まれ育った。兄は麻生太郎財務相だ。1980年11月に“ヒゲの殿下”と親しまれた故寛仁さまと結婚。当時「長年好意を寄せ続け寛仁さまが8年越しの恋を実らせた」と、熱愛ぶりが話題になった。だが十数年で破綻した。

 その一因と思われるエピソードがある。信子さまは、まだ娘たちが幼かったころから、「自分は他の皇族から嫌がらせを受けている」と家族や友人らに漏らしていたというのだ。寛仁親王家と長年交流のある人物が明かす。

「実際そうした事実はなかったようですが、当時の寛仁さまや彬子さま、瑶子さまは、信子さまの言葉を素直に信じ、他の皇族方に警戒心を抱いてしまったようです。年齢が近い高円宮家の3人の女王さまとは、ほとんど交流をしていないようでした」

 結果、寛仁親王家は宮家のなかで孤立していく。そのうち、こうした状況に違和感を抱いた寛仁さまが、信子さまに不信感を募らせることになった。寛仁さまは親しい人たちに「『どうしても』とお願いして結婚したのに裏切られた思いだ」と悲痛な表情で漏らした。妻との不仲は、寛仁さまがアルコールに依存する原因の一つにもなった。

 なぜ信子さまは家族を混乱させたのか。それは「自己顕示欲の表れ」と見る人も多い。

 95年の阪神・淡路大震災からさほど時間の経っていないころ、皇族が集まる晩餐会があった。出席する女性皇族たちは時勢を鑑み、服装はグレーなど地味な色で、と事前に示し合わせていた。ところが会場に現れた信子さまは、フリルが華やかなデザインの真っ赤なドレス姿。居合わせた人々は啞然としたという。

 寛仁さま、信子さまご夫妻と長年付き合いのあった人物は、その背景を分析する。

「信子妃殿下は、ご自分が主役でいたいという思いがとても強い。周りの関心を集めるために、目立つ行動や飛躍した話をしていたのではないでしょうか」

週刊朝日  2014年12月19日号より抜粋