丸山茂樹「転げ落ちるようなゴルフ人生になっちゃって」 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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丸山茂樹「転げ落ちるようなゴルフ人生になっちゃって」

連載「マルちゃんのぎりぎりフェアウエー」

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週刊朝日#丸山茂樹
国内ツアー10勝目に喜んだのもつかの間…… (c)朝日新聞社 

国内ツアー10勝目に喜んだのもつかの間…… (c)朝日新聞社 

 国内ツアーから復帰してはや5年。現在はケガに苦しむプロゴルファーの丸山茂樹氏が、その当時を振り返った。

*  *  *
 早いもので、2014年もあと1カ月あまり。男女の国内ツアーも最終盤を迎えました。

 この時期になると、頭をよぎる試合があります。もう5年前ですね。09年のツアー最終戦「日本シリーズJTカップ」。舞台は東京のよみうりCCです。00年から08年まで米PGAツアーを主戦場にしてきた僕は、この年から国内ツアーに復帰してたんです。

 まずはあの日本シリーズを迎えるまでの僕の様子から。日本に戻ってくるにあたって、「僕らのときのジャンボ(尾崎将司)さんのように、若手の壁になる」なんて言ってはみたものの、実はそんなこと言える状態じゃなかった。

 もうアメリカで燃焼しきっちゃってて、戻ってくるころにはもう、ドライバーのイップスを背負っちゃってましたから。復帰した国内ツアーでも、「いやあ、調子の悪い自分がいるなあ」なんて思いながら、いっぱいいっぱいでやってました。どうやってシード権を守ろうかと思ってやってるうちに、5試合で予選落ち。「もう優勝カップを持つこともないんだろうな」と思いながら、最終戦の日本シリーズを迎えました。

 出場するたびトップ10という相性のいいコースでしたから、結構気持ちよく回れてたんです。トップに4打差の4位で最終日。焦ることもなく、「上位に残れたらいいな」ぐらいの気持ちでいたら、15番から怒濤(どとう)の3連続バーディー。計6バーディーで金庚泰(キムキョンテ・韓国)に追いつき、キョンテの上がりを待ってました。彼と一騎打ちのプレーオフになった。

 そこからはもう、僕にはマッチプレーを戦うときの試合運びが頭に入ってましたから、落ち着いてました。何しろマッチプレーではボギーが厳禁なんです。すぐ負けにつながりますから。とにかくパーをとり続けていくこと。そのなかでチャンスをうかがう。

 どっちが先にミスをするかという勝負ですね。そうやってプレーオフ4ホール目で、キョンテがボギー。僕がパーパットを決めて、なんとなんと、1999年のブリヂストンオープン以来の国内ツアー優勝ですよ。勝手に涙が出てきました。当時、こんなコメントをしてますね。

「ツアーで18年、ゴルフを始めて30年になるけど、優勝して泣いたのは初めて。トシで涙腺がゆるんできたのかな」

 つらいこと、いっぱいありましたからね。でも40歳になった9月ごろ、親父にもらったスイングについてのアドバイスがあって。それがハマったから、少しずつよくなってる自分を感じながら回れたんです。難関の18番で、最終日は通常のラウンドとプレーオフを足して5度もパーを重ねられた。僕の粘り勝ちだったんですよね。

 ほんと、優勝なんてあきらめかけてたときに勝てて、心から喜びました。優勝で3年シードをもらったはいいけど、あれ以降、坂道を転げ落ちるようなゴルフ人生になっちゃって。

 11年の開幕直前にロスで息子の奨王(ショーン)とバスケットをしてたら、右ふくらはぎの筋肉を断裂。治ったら腰痛にひざ痛……。そしていまに至るのです。人間の体って、不思議で、怖いものなんです。

週刊朝日  2014年12月5日号


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丸山茂樹

丸山茂樹(まるやま・しげき)/1969年9月12日、千葉県市川市生まれ。日本ツアー通算10賞。2000年から米ツアーに本格参戦し、3勝。02年に伊澤利光プロとのコンビでEMCゴルフワールドカップを制した。リオ五輪に続き東京五輪でもゴルフ日本代表ヘッドコーチを務める

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