稲盛和夫×山中伸弥特別対談 2人の共通点は“父” 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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稲盛和夫×山中伸弥特別対談 2人の共通点は“父”

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京セラ名誉会長/JAL名誉会長稲盛和夫(いなもり・かずお)1932年、鹿児島県生まれ。59年に京都セラミック(現・京セラ)を設立。社長、会長を経て、97年より名誉会長に。84年に第二電電(現KDDI)を設立し、会長などを歴任。同年に私財を投じ、稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。また、経営塾「盛和塾」の塾長として経営者の育成に尽力している。2010年に経営破たんした日本航空(JAL)会長に就任。2年後に再上場を果たし、13年に名誉会長(撮影/写真部・松永卓也)

京セラ名誉会長/JAL名誉会長
稲盛和夫(いなもり・かずお)

1932年、鹿児島県生まれ。59年に京都セラミック(現・京セラ)を設立。社長、会長を経て、97年より名誉会長に。84年に第二電電(現KDDI)を設立し、会長などを歴任。同年に私財を投じ、稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。また、経営塾「盛和塾」の塾長として経営者の育成に尽力している。2010年に経営破たんした日本航空(JAL)会長に就任。2年後に再上場を果たし、13年に名誉会長(撮影/写真部・松永卓也)

京都大学iPS細胞研究所所長山中伸弥(やまなか・しんや)1962年、大阪府生まれ。神戸大学医学部卒業、大阪市立大学大学院医学研究科修了。米国グラッドストーン研究所博士研究員を経て、2003年奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター教授。10年4月から京都大学iPS細胞研究所所長。ヒトの皮膚細胞からiPSを作り出すことに成功し、10年京都賞先端技術部門受賞、12年ノーベル医学生理学賞を受賞した(撮影/写真部・松永卓也)

京都大学iPS細胞研究所所長
山中伸弥(やまなか・しんや)

1962年、大阪府生まれ。神戸大学医学部卒業、大阪市立大学大学院医学研究科修了。米国グラッドストーン研究所博士研究員を経て、2003年奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター教授。10年4月から京都大学iPS細胞研究所所長。ヒトの皮膚細胞からiPSを作り出すことに成功し、10年京都賞先端技術部門受賞、12年ノーベル医学生理学賞を受賞した(撮影/写真部・松永卓也)

賢く生きるより、辛抱強いバカになれ

稲盛和夫著/山中伸弥著

978-4023313200

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 京セラ、KDDIを創業、JALを再建し、平成の“経営の神様”といわれる稲盛和夫氏(82)。iPS細胞を開発し、ノーベル賞を受賞した山中伸弥・京都大学iPS細胞研究所所長(52)には知られざる共通点がある。理系、父は工場経営者、挫折と成功。2人が語った仕事のやり方、リーダー論とは?

*  *  *
稲盛:山中さんが研究者の道を目指したのは、どういう思いだったんですか。

山中:私の場合は初めから研究者の道を目指したのではなくて、本当になりたかったのは臨床医だったんです。やってみると自分は整形外科医にはつくづく向かないと感じて、途中から基礎研究に転向したんです。もともと医者になろうと思ったのは、父親にすすめられたからなんです。

稲盛:お父様もお医者さんをされていたのですか。

山中:父親は東大阪でミシンの部品を作る小さな町工場を経営していました。私は父親をとても尊敬していました。父は経営者でもあったわけですが、技術者としての姿のほうが目に焼きついているんです。ミシンの小さな部品なんですが、自分で図面を引き、鑢で削って、最後まで自分でいろいろ工夫しながら作っている。夜中でも何か思いつくと、すぐに隣の工場に行って設計図を描き始めていました。

稲盛:あらためてお話を伺っていると、いろいろ共通点がありますね。私は鹿児島市の薬師町(現・城西)というところで生まれましたが、私の父親も小さな印刷工場を営んでいました。私にとってのものづくりの原点も、この小さな町工場で働く父の姿なんです。父は小学校しか出ていませんが、印刷屋の丁稚をしているときに出入りの紙問屋に技術とまじめさを見込まれ、中古の印刷機を譲ってもらい、私が生まれる頃には独立して「稲盛調進堂」という屋号で印刷屋を開業していました。父は絵に描いたような実直な男で、腕はいいのに欲がなく、何事においても慎重。朝から晩までよく働き、職人気質で徹夜してでも納期は必ず守っていました。そんな父の背中から学んだことは大きかったと思います。父親はいろいろな機械を器用に使いこなして、壊れると自分で修理もしていました。私も独学で勉強し、機械の製図も描けるようになり、京セラを設立してから非常に役立ちました。

山中:というと、ご自分で機械を作られたんですか。

稲盛:ええ。新しいセラミック製品を製造するのに、当時のお金で何十万円もする製造機械が必要でした。そんな大金はありませんから、自分で設計して作りました。私は製品には作った人の心が現れると思っています。それを教えてくれたのも仕事をする父親の姿だったわけですが、セラミックスの研究開発をしているとき、私はよく「製品の語りかける声に耳を傾けろ」と部下に言っていました。それぐらい集中した取り組みで製品を作り上げなければいい製品はできないからです。

(2人の対談本「賢く生きるより 辛抱強いバカになれ」が朝日新聞出版より10月7日に発売されます)

週刊朝日  2014年10月10日号より抜粋


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