司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』に主人公となったことでも知られる豪商の高田屋嘉兵衛だが、その8代目を継ぐ高田菜々さん(36)は、嘉兵衛のおかげで苦労したという。

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 司馬遼太郎さんの『菜の花の沖』の主人公になった高田屋嘉兵衛は、北方交易や択捉島(えとろふとう)開発などで活躍した豪商です。ロシア修好の先駆けにもなりました。

 でも嘉兵衛って、みんなあまり知らない。嘉兵衛について熱く語ってくださるのは、経営者か司馬遼太郎ファン、あとは高田屋の本店があった北海道・函館の人くらい。

 私も東京で生まれ育ってますし、嘉兵衛とは何の関係もなく暮らしていました。豪商だったって言われてもねえ。うちはただの一般家庭だし、ピンときません。

 高田屋は、2代目のときにロシアとの密貿易の疑いをかけられて、幕府にほぼ全財産を没収されています。それでも残った財産で商売を続けていたんですけど、高田屋という店があったのは3代目まで。4代目からは勤め人です。

 父は東京・赤坂で不動産業をしていました。バブルのときに気も大きくなってたんじゃないかな。1988年に、家に伝わっていた古文書などを展示する「北方歴史資料館」を函館に建てました。聞くところによると、3億円かかったとか。

 父は80歳近くになってもまったくの健康体で、函館にも月に一度は元気に通ってました。本人はまったく死ぬつもりはなかったのですが、3年前、自宅の階段から落ちて首の骨を折り、突然亡くなってしまいました。

 東京の身辺整理はできましたけど、函館の資料館については、父が勝手にやっていたことなので、家族のだれも知らなかった。どんな資料があるのか、どう扱えばいいのかもわからないから右往左往。そのうえ、まさか数千万円の借金があるなんて……。もうパニックでしたよ。

 母と兄と姉は、資料館と資料を手放して借金をチャラにすればいい、という意見でした。でも私は、「資料の中身もわからないで手放すというのは乱暴すぎやしないか。まずは、中身を知ってからにしよう」と言いました。

 たしかに、嘉兵衛が何をした人かも知らなかったし、興味もありませんでした。それなのに、なぜそう思ったのか……。うーん、なんででしょう。私、美術系の高校に行って、大学のときには、父に言われて学芸員の資格を取ったんですけど、原因はそのあたりかもしれない。父に仕組まれていた気もします。

 とりあえず、資料館を開けないと、博物館法で決められた開館日数に足りなくなって、税金が免除されなくなる。状況と資料も知る必要がある。ということで、会社を辞めて、函館へ移住しました。夫も会社を辞めてついてきてくれました。

 資料は7千ページ分の古文書と幕末・明治の写真でした。色々な方に教わりながら、膨大な資料を読み解いていくと、先祖のことがわかってきて、自分も大きな流れの一つなんだというふうにも感じました。

 資料館の運営については、函館市などにあたりましたがうまくいかず、昨年閉館しました。資料も私たちも東京に引き揚げているのが現状です。

 司馬さんの『菜の花の沖』は、まだ読んでないです。会社を辞めてしまったし、嘉兵衛には自分の人生をめちゃくちゃにされましたからね。複雑です。まだ冷静には読めそうもない。まあ、6巻もあるから読むのが嫌なだけかもしれないですけど(笑)。

(構成 本誌・横山 健)

週刊朝日  2014年9月5日号