19年前飯舘村の「椏久里」は12年7月から居住制限区域に指定された深谷地区にある(撮影/宇井眞紀子)
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飯舘村の「椏久里」は12年7月から居住制限区域に指定された深谷地区にある(撮影/宇井眞紀子)
今宿泊制限はあるが、市澤秀耕さん・美由紀さん夫妻は原発事故以降、毎週様子を見に戻っている(撮影/宇井眞紀子)

宿泊制限はあるが、市澤秀耕さん・美由紀さん夫妻は原発事故以降、毎週様子を見に戻っている(撮影/宇井眞紀子)

 震災から3年あまり。被災地の報道が減りつつある中、カメラマンの宇井眞紀子さんが、19年前に取材した喫茶店を再び訪れた。変わらず佇む店、そこにないのは笑顔で暮らす人々の姿だけだった。

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 1995年、カメラマンの私は、ある雑誌の「農家でがんばる女性」という企画の取材で、福島県飯舘村の自家焙煎コーヒーの喫茶店「椏久里(あぐり)」を訪ねた。オープンして3年、店主の市澤美由紀さんの笑顔は輝いていた。

 その後、製菓室を増築、農園にはブルーベリーを植え、ジャム工房を作り、地元に根づいた喫茶店として成長。美由紀さんの人生も軌道に乗っていった。

 2011年3月11日、未曾有(みぞう)の大災害、東日本大震災が発生。友人のカメラマンが次々と被災地に向かう中、「自分にできることは何か?」と悩むうちに1年が過ぎてしまった。

 そんなある日、一枚の名刺が床に落ちた。美由紀さんの名刺だった。縁を感じた。ネットで調べると避難先の福島市内で新たに「椏久里福島店」をスタートさせているという。すぐに連絡を取り、「震災前の写真と同じアングルで“今”を撮影することで、決して終わっていない原発事故を伝えたい」と、何度もお願いをし、2年後にようやく了解してもらえた。

 今年の3月、美由紀さんと一緒に、現在居住制限区域とされている飯舘村・深谷地区の「椏久里」を訪れた。一見すると、今すぐにでも営業再開できるように見える。だが、店内の線量をはかってみると0.67マイクロシーベルト/時と高い。目に見えない放射線の怖さを感じた。

 母屋は入った途端に獣臭。床にはねずみの糞が散らばっている。「この家はもうダメだね」。それまで気丈に笑顔を見せていた美由紀さんがつぶやいた。

「まだ13万人が原発事故により避難生活を送っている現実を見てもらいたい」

 強い信念を持ち、前向きに撮影に協力してくれた美由紀さん。

「今は夢や希望、人との関係も断ち切られていますが、私はどんな場所でも、人々が集い、豊かな人間関係を育むコーヒー屋でありたい」とほほ笑んだ。

■宇井眞紀子(うい・まきこ)
写真家。武蔵野美術大学卒。東川賞特別作家賞などを受賞。ライフワークとしてアイヌ民族の写真を撮り続けている。現在、写真展「アイヌときどき日本人 TOKYO1992-2014」開催中。

【関連リンク】
椏久里珈琲 http://www.agricoffee.com/

週刊朝日  2014年8月29日号