8月15日に思い出すジャーナリスト田原総一朗の原点 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

8月15日に思い出すジャーナリスト田原総一朗の原点

連載「ギロン堂」

このエントリーをはてなブックマークに追加

 ジャーナリストの田原総一朗氏は、「終戦の日」がジャーナリストを志すきっかけになったと当時の思い出をこう振り返る。

*  *  *
 また8月15日がやって来た。私にとって生涯の最大の事件といえば、1945年8月15日の昭和天皇の玉音放送である。

 私は小学校5年生だった。正午に天皇の重大放送があるというので、ラジオの前に座って待った。近所にはラジオのない家もあって、5~6人の近所の人々が一緒にラジオを聞くことになった。

 当時の雰囲気は鮮烈に覚えている。天皇の玉音放送が始まった。しかしノイズが多くて聞き取りにくい。私たちは緊張して懸命に聞いた。

「敵は新に残虐なる爆弾を使用し」という言葉があった。広島、長崎で米軍が投下した原爆のことだとは見当がついた。それが降伏の直接のきっかけになったわけだ。「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」という言葉もあった。

 玉音放送が終わると、近所の人々の意見は二つに割れた。一方は、「堪え難きを堪え、と天皇が言うのは、戦争が続くということだ」という。当時、軍の幹部は本土決戦を主張していたのだ。もう一方は「いや、降伏したのだ」という意見だった。午後になって市役所の職員が、メガホンで「戦争は終わりました」と言って回った。

 降伏というかたちで戦争が終わったとわかり前途が真っ暗になった思いがした。私は海軍兵学校にいこうと決めていたので、その将来展望がゼロになったのである。

 私は2階へ駆け上がって泣いた。そして泣きながら寝てしまった。起きると夜になっていた。そして2階から下を見ると明るかった。昨夜まで灯火管制で真っ暗だったのだが、戦争が終わり、どの家も明かりをつけたのだ。複雑な解放感があった。


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

続きを読む

関連記事関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加
あわせて読みたい あわせて読みたい