舞台に関わっているとき、片岡愛之助はいつも思う。「お客様の心と足を動かすものは何だろう?」と──。

「芝居には、正解がなければ終わりもない。『面白かった』も『つまらなかった』もお客様が決めること。だから、一生精進できる。有り難い仕事に就かせていただいたと思います。今の父の片岡秀太郎と十三世片岡仁左衛門に感謝です」

 実家は、大阪で自営業を営んでいたが、子役として活躍しているところを見いだされ、9歳のときに片岡千代丸を名乗る。その10年後、秀太郎の養子に。歌舞伎の世界に足を踏み入れて30年以上が経つが、今まで一度も退屈したり、他の世界に憧れたりしたことはない。

「20代の頃は、今以上に、歌舞伎以外に興味がありませんでした。映画やドラマに同世代の方が出ていても、『自分もやってみたい』とは思わなかった。歌舞伎以外の仕事をやらせていただくようになってからも、歌舞伎の位置づけは、僕の中で不動の1位です。歌舞伎あっての自分ですから。先輩から教わったものを後輩に渡していくこと。新作の歌舞伎を作っていくこと。僕がすべきことは、その二つだと思っています」

「台詞がたった一つしかなくても、300あっても、一つの役を演じるのは同じこと」と愛之助さんは言う。主役も脇役も関係ない。自分がどこに出ていても、意識するのは、“お客様に喜んでもらうこと”だけだ。

 
「歌舞伎の世界では、“40、50は洟垂れ小僧”なんて言われますが、僕も最近ようやく、洟垂れ小僧に成れてきたのかもしれないな、と思えるようになりました(笑)。父がよく言ってたんです。適当という意味の“ええ加減”じゃなく、“よい加減”を見つけなさい、と。若い頃って頑張れちゃうから、頃合いをセーブすることができない。でも、がむしゃらな芝居って、観てるほうもやるほうも疲れるんですよ。先輩たちの教えは、聞いたばかりのときは、理屈ではわかっていても体現できない。でも時間が経ってみると、『こういうことか』と腑に落ちるんです」

 とはいえ、最近は映像や歌舞伎以外の舞台にも積極的に立つようになった。今は舞台「炎立つ」の稽古の真っ最中だが、これは5年前の舞台「赤い城 黒い砂」が終わったあとの、演出家の栗山民也さんとの「また何かやりましょう」という約束が、ようやく実現したものだ。歌舞伎以外の仕事では、常識を超えた発想に出会えるのが刺激的なのだそう。

「今後の目標? いつか“当たり役”と言われるような役に出会えたら幸せですね。歌舞伎はいくつになっても同じ役ができるのですが、20歳と70歳で同じお姫様の役をやってどっちが可愛いかと言ったら、本当に可愛いのは70歳のほうなんです。世阿弥は、それを、“時分の花と真の花”と言っています。いつか僕も、真の花を咲かせられたら」

週刊朝日  2014年8月1日号