寿々女[すずめ] (撮影/写真部・馬場岳人)
寿々女[すずめ] (撮影/写真部・馬場岳人)
さより (撮影/写真部・馬場岳人)
さより (撮影/写真部・馬場岳人)

 初夏の風物詩、新橋芸者の舞台「東をどり」は、今年90回を迎える。東京最大の花街・新橋の今を彩るのはどんな女性たちだろうか?

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・寿々女 [すずめ]
 今年、東をどりデビューを果たす青森県出身の22歳。昨年7月から置屋に入り、住み込みで働いている。「花柳界に憧れたのは、中学2年のときにテレビで舞妓さんを見てから。ご縁があって、中学卒業後、京都でお世話になりました」。晴れて舞妓になったが、20歳で引退。しかし「お稽古のことが忘れられず」、新橋での再出発となった

・さより
 九州出身のさよりさんは、専門学校時代、お茶やお琴をやっていたことがきっかけで日本舞踊を始め、その先生の勧めで、19歳のとき新橋芸者になった。毎日の生活はストイック。午前中は踊り、三味線、お茶、狂言、お囃子などの稽古があり、午後は髪を結いに行って身支度を整え、18時頃からお座敷に入る。土日はお客さんと歌舞伎を見たり、京都まで行って踊りの勉強をすることも。「お稽古が大好きなので、この世界に入ってよかったなと思います。きっと私の天職ですね」

・喜美弥 [きみや]

「京都の大学では日本文学を専攻していて、特に泉鏡花が好きでした」という喜美弥さん。大学3年で就職活動を始めた頃、「新橋芸者になれないかな」と思い、ダメもとで問い合わせてみたのが花柳界に入ったきっかけ。1年間、京都で踊りの稽古をし、卒業後、新橋に来た。両親は大反対だったが、東をどりを見て納得してくれたという。「365日着物を着ているので、今じゃ10分で着られますよ」という知的な大和撫子。背が高いので、東をどりでは立役(男役)を担当する

・小雪 [こゆき]
 小学生の頃から三味線を習っていたという京都出身の小雪さん。新橋の・地方・(じかた。日本舞踊の演奏者)を担う一人だ。「まさか大人になってもこんなに稽古するとは思いませんでした」と笑う。初めて東をどりを見たときは、黒の紋付きでずらりと並んだ地方に圧倒された。すでに他の場所で働いていたが、・芸の新橋・に引かれてこちらへ来た。「毎日、清元(三味線音楽)や小唄、胡弓などのお稽古があります。でも、洋楽やポップスも好きですし、カラオケも行きますよ」

・清乃 [きよの]
 清乃さんは元OL。栄養士の専門学校を卒業後、10年間、経理をしていた。あるとき茶道の先生に誘われ、東をどりへ。見た瞬間、「私が行きたかった場所はここだ」と確信した。とはいえ、当時すでに30歳。踊りの経験もなし。周りからは「1%の可能性もない」と言われたが、退職し、新橋の門をたたいた。「実は中学生の頃から芸者に憧れていたんです。『人生一回だから、やりたいことをやろう!』と腹をくくり、踏み出せてよかった」。お座敷の会話では、OL経験が生きているという

週刊朝日  2014年5月30日号