正岡子規が通い、夏目漱石が教鞭とった「藩校」 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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正岡子規が通い、夏目漱石が教鞭とった「藩校」

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 全国の名門高校の源泉に、「藩校」がある。江戸後期、財政難に苦しんだ各藩は、人材を育てるため、競い合うように藩校をつくった。幕末には270近くもの藩校があったとされる。現在も藩校の流れを組む、名門校を取材した。

『47都道府県の名門高校』(平凡社新書)の著書がある評論家の八幡和郎(やわたかずお)氏が「江戸時代の藩校の系譜が途切れていないめずらしい高校」と認める学校のひとつが、松山東(愛媛)だ。1882年設立の明教館の流れをくむ。

 卒業生には、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の主人公である元海軍中将の秋山真之(さねゆき)や歌人の正岡子規(いずれも中退)、ノーベル文学賞をとった大江健三郎氏らがいる。また、卒業生ではないが、愛媛を舞台に『坊っちゃん』を書いた夏目漱石は同校で教鞭をとっている。OBでノンフィクションライターの山岡淳一郎氏(54)はこう話す。

「校内の敷地に、『明教館』の建物が残っていました。バスケ部の僕らにとっては、あまり関係のないものでしたが、茶道部の女生徒たちは部活動に使っていたと思います。藩校の流れをくむという意識より、明治国家を担った人物が先輩にいるという意識のほうが強かったですね。図書室には、日清、日露戦争で活躍した人物の写真がたくさん飾られていましたから。数年前に『坂の上の雲』がNHKドラマになったとき、あの人たちが主人公なのだな、と感慨深く見ました」

 関西や九州中心に進学する生徒が多く、今年は東大4人、大阪大14人、九州大13人などの合格実績だ。

 藩校のなかで最も古い歴史をもつ一つが岡山朝日(岡山)の前身となった岡山藩・仮学館だ。歴史は1666年にまでさかのぼる。

「天下の三賢侯」の一人、池田光政が城内に創設した。明治以降、岡山朝日は、全国屈指の教育レベルの高さを誇った。東大時代に首席をとった元総理大臣の岸信介も、岡山中学(現・岡山朝日)では首席をとれなかったという(のちに山口中学へ転校)。

 卒業生の一人で小説家の小川洋子さん(52)はこう振り返る。

「『歴代OBはすごかった。三権の長がすべて岡山朝日だった時代がある』という話をよく聞かされましたね。高校生だった私たちには、いまいちピンときませんでしたが(笑)」

 三権の長すべてを岡山朝日出身者が占めたのは1958年。内閣総理大臣・岸信介、最高裁判所長官・田中耕太郎、衆議院議長・星島二郎の3人だ。

週刊朝日  2014年4月11日号


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