長い療養生活を送る雅子さまに久々の海外公務を決意させたのは、一本の国際電話だった。

「電話の主は、オランダのマキシマ妃でした。まもなく新国王に即位するアレキサンダー皇太子の妃です。マキシマ妃は『ぜひ4月30日の即位式においでいただきたい』と直接、雅子さまにお話しされたようです」(宮内庁関係者)

 その言葉に背中を押され、11年ぶりの海外公務が実現したのだ。雅子さまは2006年8月、オランダ王室の招きで、皇太子さま、愛子さまと一緒にアペルドールンの離宮などで2週間、ご静養をされた経緯がある。

「『そのときの感謝をお伝えしたい』と雅子さまはおっしゃり、当時も同行した主治医の大野裕医師(精神科)に相談されたそうです。4月17日頃になってOKが出て、皇太子さまが電話で小町恭士東宮大夫に伝えたそうですが、そのお声は弾んでいたそうです」(同前)

 皇太子さまの胸中には、長いトンネルをようやく抜けた思いが広がっていたのかもしれない。雅子さまの前回の海外公務は愛子さまが生まれた1年後の02年12月だった。03年末には帯状疱疹を患ったのをきっかけに「適応障害」で長い療養生活に入った。

 そして皇太子さまが04年5月、「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」という“人格否定発言”をし、物議を醸すこととなる。国民には、「お世継ぎの問題」などで皇太子ご夫妻と宮内庁、天皇、皇后両陛下に深い溝があるという印象が広がった。

 ご病気に至る経緯について、留学時代から雅子さまを知る知人はこう話す。「帰国子女でハーバード大卒の元外交官である雅子さまがご意見をはっきり言うのは当然ですし、中でも雅子さまは自由闊達なお嬢さんです。皇室という閉鎖空間に入るのは当初から無理だろうなと思いました」。

 東宮関係者も言う。「ご結婚後、個性を封じ込め『お世継ぎ』を最優先させる皇室という環境に対し、雅子さまは深く悩まれていました。皇室の将来を案じる両陛下や宮内庁幹部と行き違いも生じていました」。

 別の宮内庁関係者は闘病の様子をこう明かす。「特に紀子さま悠仁さまを出産されるまでお悩みは深く、雅子さまが軽井沢にある小和田家の別荘にひきこもってしまわれた時期もありました。母の優美子さんと愛子さま、雅子さまの3人が別荘で過ごされ、思いつめた様子の皇太子さまが訪ねてくるような状況でした。東宮御所に戻られても雅子さまの生活は昼夜逆転し、投薬治療を受ける状態が続きました。大野医師をひたすら頼りにしていたようです」。

 雅子さまが例年夏の休暇を過ごす那須御用邸周辺でもこんな証言があった。「雅子さまは毎日、日が沈むころに女官もつけずお一人で散歩されていました。御用邸内には小道があるのですが、草が高く伸びた獣道のような場所をわざわざ歩いていかれるのです。誰にも会いたくない、というお気持ちの表れだったのかもしれません」。

 そんな状況からの転換となったのが、雅子さまが感謝の気持ちを伝えたいと述べられた06年8月の「オランダご静養」だ。オランダは雅子さまにとって特別な国で、もっとも頼りにしているご両親が暮らす地だ。実父の小和田恒元外務事務次官は現在、同国ハーグにある国際司法裁判所の判事を務めている。

 さらにオランダ王室と皇太子ご一家は特殊な環境下で“家族の悩み”を抱えているという共通点もあった。「オランダ王室が雅子さまに共感するのは、ベアトリックス女王の夫クラウス殿下も元外交官で、王室入りした後、うつ病を患った時期があるからです。自分の職を失い、『女王の夫』でしかなくなったのが原因だと考えられています」(オランダ王室ジャーナリストのハンス・ヤコブ氏)。

週刊朝日 2013年5月3・10日号