2000年のシドニー大会以来、パラリンピックスポーツの取材をライフワークとして続けている写真家の越智貴雄氏。障害者スポーツの知識がほぼ皆無だった12年前、初めて撮影したときのことを振り返る。

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「障害を持つ人にカメラを向けて失礼にならないのだろうか」

 大会が近づくにつれ、そんな不安が徐々に高まったのを今でも覚えている。

 しかし、その不安は競技を見た途端に吹き飛んだ。アイマスクをつけた視覚障害のランナーが100メートルを11秒台で駆け抜ける。車いすバスケットボールでは、車いす同士が激しく衝突してひっくり返ったり、片輪を宙に浮かせながらシュートをしたりする姿を目の当たりにした。私は、人間の持っている潜在能力の高さと可能性に驚き、「人間ってすごい!」 と無我夢中でシャッターを切り続けた。以来、12年間にわたってパラリンピックの選手を撮影し続けることになったのだ。

 そのなかで、一度だけ興奮で体中が震え、涙を流しながらシャッターを切ったことがある。11年8月28日、南アフリカのオスカー・ピストリウス選手(25)が、義足ランナーとして初めて世界陸上の400メートルに出場したときのことだ。

 先天性の障害のため、生後11カ月で両膝下を切断した彼が、この大舞台に立つまでには長く険しい道のりがあった。義足が記録に有利に影響するのではとの議論が噴出するなか、一時は健常者が出場する国際大会への出場が禁じられたこともあった。だが、彼はそれでも一歩一歩進めば夢は実現することを証明した。彼はこう言う。

「僕は障害があるわけじゃない。ただ足がないだけ。障害があるからできないのではない。持っている機能を使えば何でもできる」

※週刊朝日 2012年9月7日号