こまめな水分摂取が叫ばれる夏です。暑さで食欲も進まないときに食べたいのが果物。自然の水分をたっぷり含んだ果物は、暑い今だからこそ美味しく感じられるのかもしれません。夏の果物をみてみると、どうやらどれも紀元前の古代から食べ続けられてきたものが多いようです。砂漠の水のないところで人々が命をつないできたのも、実はこんな果物があったからかもしれません。甘く口あたりのよい果物は、夏を乗り切る切り札にもなりそうです。

「西瓜」暑いからこその美味しさ! それはやがて想い出に

暑い日の一番のごちそうは冷えた西瓜ではないでしょうか。汁を滴らせながらかぶりつくのが西瓜の醍醐味! 甘い果汁が口の中に溢れますね。

「抱へたる西瓜に水の重さあり」 松井秋尚

西瓜の食べ方は人それぞれ。一番甘く美味しいのは中心部分。そこを先に食べるか、後に残して楽しみにするかはその時々でみんなが悩むところでもありましょう。赤い部分は少し残して食べ終わるのが上品な食べ方、白いところが見えるまで食べてはいけません、などと子供の頃に親に言われたことはありませんか? 西瓜好きとしては、赤い部分をすべてきれいに食べてしまうような食べ方が嬉しく思えます。

ごろんとした大きな西瓜。指ではじいてみれば美味しさがわかる? かもしれません。包丁を入れてパンと二つに割れる音の小気味よさも魅力です。さあ、切り方は人数によっても変わってきますよ。
西瓜の美味しさはみんなで食べるから、とも言えませんか。暑い中でのひと仕事や緊張感をもったセミナーの後、また夏のレジャーでは大きな西瓜を切り分けて大勢で食べれば、真っ赤な西瓜が楽しい想い出となって残ります。水分補給だけではなく、夏を彩ることができるのが西瓜ですね。

「桃」が放つ魅力にぞっこん!

桃の美味しさは甘く滴る果汁だけではありません。ねっとりとした柔らかい果肉もまた桃の魅力でしょう。

桃は古来中国では不思議な力を持つ果実と考えられてきました。三千年に一度だけ実を結ぶ桃の実を食べると不老長寿を得ることができる、という西王母の伝説が伝えられています。また俗世間を離れた平和な生活が楽しめる理想郷といわれる桃源郷には「桃」の字が使われています。どれも手のひらにすっぽり収まる桃の丸い形や、柔らかい果実の豊かさを思うと「なるほど!」とうなずけるのではないでしょうか。

繊細で傷つきやすいので扱いには注意が必要ということもありますが、桃には他の果物にはない何か特別な感覚がありませんか。

「まだ誰のものでもあらぬ箱の桃」 大木あまり

まだ見ぬ桃へのワクワクとした期待感を発散させています。そして今や食べんとして向けるのは慈しむような優しい視線です。

「ゆつくりと引けばめくるる桃の皮」 岩田由美

桃の皮がスーッとむけていく様は芸術的と言いたくなる気持ち、わかります。

「ひたすらに桃食べてゐる巫女と稚児」 飯田龍太

「白桃のすべり込んだる喉かな」 山上樹実雄

ひとたび口に入れてしまうと、それまで持っていた桃に対する憧れのような敬意は忘れてしまうようです。夢中で食べる巫女さんと稚児の若い旺盛な食欲や、果肉の旨さを堪能する喉は実に肉感的です。桃の魅力ってこのあたりにもありそうな気がしませんか。

「葡萄」一粒ずつが魅力的!?

スーパーの果物売り場を見て感じるのは、近年葡萄の種類がとても多くなったことです。特に一粒が大きくなっているのに驚かされます。デザート皿に盛られた大粒の葡萄の美しさに思わず見とれてしまうこともあります。とはいえ昔からある葡萄には、気やすい馴染みのような、捨てがたいきずなを感じます。

葡萄の魅力は房に成るところにもあると思います。粒がぎっしりとついた房が葡萄棚から下がっている姿、丸く張りだした房は下にいくほどすぼまって大地にむかいます。自然が作る大きなしずくのように見えませんか。
葡萄はジュースやワイン、干し葡萄と加工されて一年を通して私たちの生活を潤しています。夏に実る葡萄の美味しさはやや酸味のある濃厚な甘さではないでしょうか。また一粒ずつ指で摘まみとり、その弾力を感じながら口に含み果汁を味わう、この感触も葡萄ならではかもしれません。

こうして見てきた夏の果物には、どれも身体が元気になる糖分がたっぷり含まれています。暑さで食欲がなかなか進まないとき、穏やかな果物でほっこりと心と身体を休めるのも、厳しい夏を乗り切る手かもしれませんね。