その日、妖怪が家にやってくる?由緒不明の行事「事八日」の正体はなんと…! 〈tenki.jp〉|AERA dot. (アエラドット)

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その日、妖怪が家にやってくる?由緒不明の行事「事八日」の正体はなんと…!

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北風とともにやって来る冬の災厄。人はそこにさまざまな魔物の姿を幻視しました

北風とともにやって来る冬の災厄。人はそこにさまざまな魔物の姿を幻視しました

門口に飾られた魔除けのヒイラギ。事八日には多様な災厄除けの民間風習が見られます

門口に飾られた魔除けのヒイラギ。事八日には多様な災厄除けの民間風習が見られます

事八日に行われる針供養。その総本山である加太淡嶋神社は人形供養の神社でもあります

事八日に行われる針供養。その総本山である加太淡嶋神社は人形供養の神社でもあります

東北を中心に、村境に据えられる人形道祖神。災厄を村に入れないための守護神です

東北を中心に、村境に据えられる人形道祖神。災厄を村に入れないための守護神です

サンタとオーディンの狩猟団、一つ目妖怪と大黒様。疫神と福神は実は同じものなのかもしれません

サンタとオーディンの狩猟団、一つ目妖怪と大黒様。疫神と福神は実は同じものなのかもしれません

冬の入口ごろにあたる12月8日、そして立春ごろにあたる2月8日は、民間習俗で「事八日(ことようか)」にあたります。12月8日を「事納め」、2月8日を「事始め」(またはその逆)とも呼ばれます。以前は「事」とは、12月8日を一年の農事の終わりとはじまりのことだとか、または正月に歳神を迎える行事のことだとかと解釈されてきましたが、研究が進むうち、その解釈には異論も出てきています。地域によって一つ目の妖怪が里にやって来るとも、福神が家を訪れるともされ、複雑奇怪な信仰行事が各地で行われてきました。「事八日」とは一体どういう日なのでしょうか。


ダイマナク、針供養、お事汁。多種多様な事八日行事が意味するものは?

事八日の風習および伝説としてもっとも有名で印象的なのは、主に関東地方から東海地方に分布する、目籠を長いさおの先にかけて軒先に吊るすならわしです。

この日各戸を訪れて災いをもたらすという一つ目小僧や、やはり一つ目の妖怪・箕借り婆 (みかりばばあ)が、目籠の無数の目におじけづいて近づいてこない、とされるためです。

茨城や福島ではこの妖怪をダイマナク、栃木ではダイマナコと呼び、グミの枝を囲炉裏でいぶし、ヒイラギや匂いのきついニンニク、ネギ(ナンバン)などを戸口に飾って魔除けとします。さらに裏庭などの敷地の目立たない場所に笹竹を組み合わせた簡素な門松状の祭壇「笹神様」をしつらえて、小豆飯や蕎麦などを供えます。

逆に東北地方や関東の一部では、事八日には家に福の神である大黒様と恵比寿様が訪れるとして、供え物をして歓待する風習があります。

福島市では、12月8日、2月8日を「メケイ八日」と言い、やはり村の家々は厄病神除けの飾り付けをするのですが、特定の数件の家は、家の戸口をいっぱいに開けて疫病神を招き入れ、小豆飯や牡丹餅を供え、しばし歓待して送り出すという風習も見られます。

愛媛県では2月8日は「命乞い(イノチゴイ)」とも呼ばれ、魚や芋を混ぜたご飯を藁に包み、箸を添えて屋根に上げ、鳥に食べてもらうことで福がもたらされると信じられてきました。

宮城県では、12月8日を「つめの八日」「厄神様」と呼び、桃の木の枝に団子を家族の数だけ刺して門口に飾ります。

北陸の新潟県では事八日は「しょうき祀」と呼ばれ、人形道祖神を村境に飾り厄除けとします。

長野県では、とうとの神送り、風の神送り、こと神送り、八日様などとも呼ばれる厄神で、疫病除けのために藁で巨大な馬やムカデ、人形を作り、村郷の境まで運び、燃やすという虫送りに似た行事が行われます。

愛知県の北設楽郡でも、虫送り行事とも習合して、疫病神の依代となる藁人形を村境まで送り災厄防除を祈願する「八日送り」が2月、6月、12月の計三回も行われます。

またこの日は物忌みの日でもあり、野良仕事や針仕事などを休み、派手な行いは慎んで静かに屋内で過ごし、無病息災を祈って「お事汁」「六質汁(むしつじる)」と呼ばれる汁物を食べる風習も全国に分布します。芋、大根、にんじん、ごぼう、こんにゃくの根菜に、魔除けの効果がある小豆を加えた味噌汁で、これを家族で食して養生するわけです。北陸地方では12月8日には「八日吹き」という荒天とともにフグの一種ハリセンボンが浜にあがってくるという言い伝えがあり、これは災神の到来を告げるものととらえられています。

このハリセンボン伝説から波及したと思われるのが事八日行事として全国各地に分布する針供養。折れたり曲がったりして使えなくなった古い縫い針を、寺社に奉納して弔う行事です。針供養の総本山ともいわれるのは和歌山県の加太淡嶋神社で、2月8日には全国から数多くの針が奉納されます。加太淡嶋神社は『延喜式』にも「加太神社」として記載され、戦後は神社本庁に属さず、神道淡島教団を設立しています。「淡島」とは、国生み神話で伊耶那岐命と伊耶那美命が、蛭子の次に生んだとされる子(島)の名で、海に流された蛭子と同様、親神たちに「子の例にいれず」と見捨てられた神です。

特に婦人病などへの恩恵あらたかとして、加太淡嶋神社を勧請した東京の浅草寺の淡島堂では、2月8日に豆腐に古い針を指して供養します。


古代中国の重要な祭祀・臘日とは?

このように、事八日の行事は調べるほど雑多で幅が広く、あまりにとらえどころがありません。

地理学者で民俗学者の山口貞夫氏は、事八日とは、山の神・田の神往還の信仰行事である、としました。つまり、12月8日に里にあって働いた田の神が山へと戻り、2月8日に山の神が再び田の神として里に降りてくる。この神の移動・往還に際して人もまた物忌みをしたのだ、というものです。現在の事八日に関する説明の多くはこの説に準拠しています。

川や泉の水源が山に由来することから、山の神と田の神が農民によって同一視され、往還する信仰があることはそのとおりなのですが、一般的には山の神を田に下ろすのは卯月八日の天道花行事ですし、逆に山に帰るのは十日夜(とおかんや)が知られ、神無月十日に田の神は山へと帰るとされています。ですから実はこの説はつじつまが合わないのです。

ちなみに山口氏の説は、事八日にやって来るとされる一つ目小僧の由来を説明するもので、柳田國男による一つ目小僧とは山の神が磊落(らいらく)した姿であるという説に依拠しています。

民俗学者の宮田登(1936~2000年)は、12月8日の事八日について、霜月(十一月)八日に行われる製鉄民・鉱山労働者の信仰する金屋子神を祭る鞴(たたら)祭が、一ヶ月後ろ倒しになったものだろう、とし、同様に2月8日については、前後して行われる初午の稲荷祭との関連を指摘し、稲荷神もまた金工労働者の信仰する神であり、山の民の信仰が、農村や江戸の都市文化に影響を与え、浸透したものとしています。山の神を一つ目とする信仰は、たとえば製鉄・鍛冶の守護神である天目一箇神(あめのまひとつのかみ)などによって知られるところですし、鞴祭が起源だとすれば、一つ目妖怪が里をうろつく、という伝承の説明はつくように思います。しかし、12月8日という日付けについては、単に「鞴祭が一ヶ月移動した」と短絡するのはどうでしょう。

陰暦十二月の八日は古代中国では「臘日」と呼ばれ、「臘祭」が行われました。この日は新旧、天地、祖霊と生者がつながり、合一する日とされ、人々は野獣を狩猟して先祖に供えて祈りを捧げました。中国の南北朝時代の王朝「梁(502~557年)」時代の月令を記した『荊楚歳時記』には、臘日には「臘鼓鳴春草生(臘鼓を鳴らせば春草生ず)」という信仰があり、村人たちは腰にさげた鼓(臘鼓)を叩き鳴らして踊り、また武者帽に金剛力士の仮装をして、災い、疫病を払った、と記されています。

後漢時代の『四民月令』 では、臘日の数日前から豚や羊を屠り、祭壇に捧げる。二日前から斎戒に勤め、室内を掃除する。臘日当日は野良仕事も雑事も休み、祖霊と五祀(戶=家屋の出入り口、戸口の神/竈=カマド神/門=敷地の門の神/中霤=家屋全体の神/行=旅人、道の神の五柱の神)を祀る儀式をおこなう、としています。

中国古代の臘日のならわしが日本に伝播し、山の神信仰やつくも神信仰と一体化して、独自の事八日行事になった、ということなのではないでしょうか。


災厄と福は表裏一体。事八日とはアジア版クリスマスだった?

しかしここで話は終わりません。ヨーロッパでは、冬の訪れとともに、魔物たちを引き連れて、戦争と死と霊感をつかさどる北欧神話の最高神・オーディンの狩猟団が冬の夜空を引き裂くような叫び声を上げながら駆け抜け、目撃した者の命を奪っていく、恐怖の百鬼夜行・ワイルドハント(Wild Hunt)の言い伝えが広く分布します。

ワイルドハントは特に冬至の祭りであるユール(jul、yule)の頃に目撃が最高潮に達するといわれます。事八日の元になった中国の祭祀「臘日」の「臘」とは「猟」を意味します。オーディンの狩猟団と臘。これは偶然なのでしょうか。

オーディンは隻眼(片目)の神。事八日に里をさまよう一つ目妖怪とも重なります。そしてさらに、人の命を奪う死神、厄病神であると同時に、子供たちや貧しいものにはその者の靴下、靴に施しをしていくとも伝えられています。オーディンの渡りは、トナカイのそりで夜空を駆けるサンタクロースのイメージの原型にもなっているのです。

長野県などの中部地方では、事八日に大きな編みわらじを戸口につるすならわしが知られ、クリスマスツリーに靴下やブーツをつるす風習とよく似ています。千葉県では、疫病神除けに掲げた目籠の周辺に、夜の間に親が小銭を撒いておき、翌朝起きた子供たちに、天からお金が降ってきたと告げて与えます。クリスマスのプレゼント行事とそっくりです。

さらに、事八日に家に招きいれる福の神である大黒様(大黒天)と恵比寿様。大黒様の姿は、恰幅がよく、ゆったりとした頭巾をかぶり、大きな袋を背負っています。そのいでたちから、私たちは容易に「サンタさん」との共通性を見出すことができます。事八日とは、意外にもアジア版のクリスマス、と言っても過言ではないかもしれません。

人を含めた生物すべてにとって生命の存亡に関わる過酷な季節である冬。古代人は風とともに襲い来る冬のウイルス病や細菌病(厄神)を恐れながら、同時に冬至を境にした太陽の回帰に福神の到来を重ねました。

古代エジプトやゾロアスター教、ミトラ教などの古代太陽信仰の系譜は、ユーラシアの西と東に伝播しながら、共通する信仰形態をつくりあげたのかもしれません。現代ではめっきりマイナーな事八日信仰には、壮大な人類の精神史が刻まれているように思われます。



(参考・参照)

疫神とその周辺  大島健彦 岩崎美術社

製鉄・鍛冶神事としての針供養-「コト八日の一視点」  三田村佳子

伊那谷のコト八日行事


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