白と紺、シャキッとした木綿に太い縞、直線を組み合わせた大胆な柄の法被をキリッと前で合わせ、細帯をしめた法被姿は博多祇園山笠の正装。こんな法被姿の男性を博多の町ではたくさん目にします。それが祇園山笠の博多の町。仕事が終わって、昼間、山笠の用事があれば仕事中でも法被の正装に着替えて出かけていくのです。「博多祇園山笠」はそれだけみんなが大切にしているお祭りということがわかかります。
「祇園祭」といえば山鉾がゆっくりと巡行していく京都のを思い浮かべる方も多いと思いますが、ここ博多の祇園山笠は違います。10mを超える大きな山笠を担いで走り、その速さを競う豪壮なもの。暑い夏の始まりに行われる「博多祇園山笠」の魅力をお伝えします。

町の中で披露される山笠
町の中で披露される山笠

始まりは鎌倉時代!?祭の歴史はわからないくらい古いのです

「博多祇園山笠」の起源はさまざまあるそうですが、ここでは振興会が取っている説をご紹介します。1241年(仁治2年)鎌倉時代にこの地では疫病が大流行し多くの人が苦しみました。博多に滞在中だった臨済宗の僧、聖一国師(しょういちこくし)が、施餓鬼棚の上から祈祷水をまいて疫病退散の祈願を行ったのを始まりとしています。その後今の形の元となったのは、豊臣秀吉が戦国の世で荒れ果てた博多の町を復興するために行った「太閤町割り」とのこと。町が整備されることで人々の結束もできてきたのでしょう。その後、時代に合わせて多くの人々の知恵を重ねて、今の「博多祇園山笠」の形ができたということです。
福岡は九州の北側にあり、朝鮮半島に向かった海に面してます。古代から大陸の文化が入って来る通り道でした。博多の人からよく聞かれる「よか、よか」「よかと」ということばから感じるのは、誰でも大きく受け入れてしまう気質。昔から多くの人が集まり、貿易の基地として発展してきた町を作ったのは、この気質でしょうか。皆が協力し危機を乗り越え、伝統の中に作り上げてきたお祭りが「博多祇園山笠」、そんな風に思われます。

法被姿、博多祇園山笠の正装です
法被姿、博多祇園山笠の正装です

さあ「博多祇園山笠」を見に町へ出ましょう

「山笠」は博多人形師が作り上げた芸術作品。6月に入ると町では飾り山を作るための囲い造りが始まります。雨の季節ですが、囲いの中で次第に完成していく山を見ながら夏の到来を感じます。人形師の作るアートに、カンカンという制作の音も響き、心はわくわく! 通勤が楽しくなると聞きました。
「山笠」には担いで走る「舁(か)き山」と、飾ってみんなに見てもらう「置き山」の二つがあります。
「山笠」を担いで走ることを「舁(か)く」と言います。時代劇に出てくる籠を担ぐ人を「籠かき」といいますね。あれと同じです。
「山笠」は「太閤町割り」から始まった町作り、現在は7つの区域があり、ひとつの区域のことを「流(ながれ)」といいます。「中洲」「西」「千代」「恵比須」「土居」「大黒」「東」の7流れがあります。博多の町を歩くとひょんと大きくて豪華な「山笠」にでくわしますから、ひとつづつ見て回るのもたのしいですよ。
またこの期間中は「舁き山」を担いで走る練習風景も見られますから、地元で手にはいるパンフレットや公式サイトを見ながらぜひ体感してください。
必ず訪れて欲しいのが「櫛田神社」です。地元の人が「おくしださん」と親しみをこめて呼ぶこの地の守り神、「博多祇園山笠」の中心となる神社です。ここでは年間を通して「山笠」が飾ってありますので、お祭りの期間でなくても見ることができますから嬉しいですね。

山笠全体の指揮をとる「台上がり」
山笠全体の指揮をとる「台上がり」

7月1日~15日まで「博多祇園山笠」は毎日がお祭りです

「お祭り」ですが、大切な「神事」です。正式には櫛田神社の祇園神である素盞嗚命(すさのおのみこと)へ氏子が奉納する神事です。聖一国師が疫病退散を祈ったように、暑い夏を無事に乗り越えられるようにとの願い、そして商売繁盛の願いが込められています。
神への祈りと身の清めを大変重んじ、法被をキリッと着こなしている男たちが法被を脱ぎ、締め込み姿になって、魂込めて舁き走る「博多祇園山笠」がスタートです。
1日の早朝、櫛田神社の神官による祝詞で「山笠」のお清め「注連下し(しめおろし)」が行われ、最終日までの安全を祈願します。その後「ご神入れ(ごしんいれ)」といって「山笠」に神様を招き入れる神事が行われます。夕方は筥崎浜へ行き清めの砂「お汐井(おしおい)」を取って身を清め、安全を祈願します。9日までにすべての「流」の「ご神入れ」と「お汐井とり」が行われ、神様を招き入れた「山笠」と「舁き手」の清めがおわり準備が整います。
10日「舁き山」の登場です。この日は「流」の区域の中を舁きまわります。11日「流」の区域の外にも出て行きます。12日は「追い山ならし」といって最終日の「追い山笠」のリハーサル。13日はすべての「舁き山」が福岡市役所前に集まる「集団山見せ」、14日は「流舁き(ながれかき)」という最後の練習日。いよいよ15日は「追い山笠」の本番。どこの「流」の「山笠」が一番速いか! 重ねてきた練習の成果、スピードを競います。
15日は早朝4時59分、1番山笠が大太鼓の合図とともに櫛田入り、「博多祝い唄」を歌い博多の町へと走り出します。その後2番から7番までの山笠が順番に境内を出て、ゴールとなる須崎町の廻り止めをめざし、約5kmの「追い山笠コース」を懸命に舁きます。
朝6時、すべてが終わると再び「山笠」が櫛田神社にもどります。境内の能舞台で奉納の能が演じられ「博多祇園山笠」がおわります。山笠が終わるといよいよ博多に夏がやって来ます。

櫛田神社
櫛田神社

「祇園山笠」が親から子へ、孫へ伝えていくものは?

色鮮やかにぴかぴか輝くような、たくさんの人形で飾られた巨大な「山笠」が、大勢の男たちの掛け声とともに走る抜けるさまは、なんとも勇壮で華やか。沿道では用意された水が豪快な弧を描き、走ってくる舁き手たちの頭にふりそそがれます。沸きあがる声に掛け声もさらにアップ、舁き手も応援も町中がこの「山笠」を支えて一体となっているのがわかります。舁き手の集団をみると、先頭を小学生や中学生が大勢走っています。そして山笠の後ろに付いていく集団の中には、お孫さんを抱っこしたおじいちゃんの姿も目につきます。子へ孫へこの祭りをとおして、生活や文化のみならず社会のあり方、生き方までを間違いなく伝えていく人々のこの地への愛着を感じました。

水法被、締め込み姿の舁き手たち
水法被、締め込み姿の舁き手たち

よし! 次の時代は僕にまかせて!

ご覧下さい、この走りっぷり。さあ、急がなきゃ! と駆けていく後ろ姿はもう一人前の男の背中ではありませんか。こんな子供たちがすくすくと育っている博多は、さまざまな魅力にあふれていることでしょう。政治の中心から離れた地だからこそ、人に頼るのではなく自分達でしっかりとこの土地を守っていこう、という自負が大きな柱として人々の心に据えられているのだ、とそんな気がします。
祭りはこれからが本番です。15日の「追い山笠」まで、まだまだ時間はありますよ! 参考となるサイトを挙げておきました。今年は「博多祇園山笠」で夏を体感しませんか。