今年も早いもので6月となり、二十四節気も「芒種」に。ゆっくりと着実に季節はめぐり、麦を刈ったあと、田植えを行う時期となりました。蟷螂(かまきり)が生まれ、蛍が舞い、青い梅の実が黄色く色づいてきます。紫陽花が咲き、さくらんぼが旬となり、鮎漁の解禁も楽しみなころですね。

「芒種」は穀物を植える目安とされた節気。芒種の「芒」って何?

6月5日、太陽が黄経75度の点を通過するとき、二十四節気「芒種(ぼうしゅ)」を迎えます。
この芒種は、黄金色に色づいた麦を刈り、水田の稲を植えたりと、穀物に関する大切な農作業をする目安とされている節気です。
そもそも芒種の「芒」とは、米や麦などが実ったとき、その先端にある針状の(堅い毛のような)突起「芒(のぎ)」のこと。
これから夏至までの期間、この「芒(のぎ)」がある作物の種を植える時期と言われ、(5月ころから植える地域もありますが)まるで衣替えをしたように苗が植えられたばかりの早苗田が、水鏡のようなみずみずしい風景を見せ、私たちの目を楽しませてくれるころです。

「壬生の花田植え」などで、五月女(さおとめ)たちが豊作を願って稲を植えます

田植えが終わったばかりの田んぼが「早苗田(さなえだ)」。
苗代で育てた稲の苗が「早苗(さなえ)」。
早苗を田に植え付ける田植えを行う女性を「五月女(さおとめ)」いいます。
かつて農村では何軒かで「結(ゆい)」を組み、農作業で最も重要で神聖な「田植え」を行ったそうです。特定の水田に祭場を設けて田の神を迎え、その前で作業を行うことで、ある種、神聖な祭儀に。そこに込められているのは、「植えた苗がすくすく健やかに育ち、秋にはたわわに実りますよに」という切実な願いだったのでしょう。
西日本には古くから、田植えの際に拍子にあわせ、大太鼓や小太鼓、笛や鉦(かね)を打ち鳴らし、早乙女が田植歌を歌いながら早苗を植えていくという風習があったとか。
そんないにしえからの習わしを今に伝えるのが、広島県山県郡北広島町壬生で、毎年6月の第1日曜日(今年は6月5日)に豊作を願って行われる伝統行事「壬生の花田植(みぶのはなたうえ)」です。これは、日本の重要無形民俗文化財に指定され、大事に伝承されているもの。ユネスコ無形文化遺産保護条約の「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」にも記載されています。この花田植では、牛たちはきらびやかな装具をつけた飾り牛となり、すげ笠をかぶった早乙女たちは絣(かすり)の着物に赤い帯や襷(たすき)、腰巻で着飾って、初夏の一大絵巻ともいえる稲作のハレの日を彩るのです。
また、伊勢神宮の別宮「伊雑宮(いざわのみや)」での「磯辺の御神田」、京都伏見稲荷大社での「御田舞(おんだまい)」、住吉大社の「御田植神事」など、全国の寺や神社、領田などでも豊作を祈念する行事「御田植祭」が各地で執り行われています。
芒種のころは、日本人と稲作の長く深いかかわりに思いを馳せる時期でもあるようですね。

「香魚」と呼ばれる鮎釣りの解禁も6月前後に迎えます

全国各地の清流では、5月ころから次々と鮎釣りの解禁を迎えています。
鮎はその清らかな香りから「香魚」とも呼ばれ、その川の苔を食べて生育し、川の水で香りが変わるのだそうです。
本来、川と海を回遊する魚なのですが、幼魚の産地としても有名な琵琶湖に生息する鮎は海には下らず、琵琶湖を海の代わりとして利用しているのだとか。長良川などの鵜飼や、友釣りという鮎独特の漁も興味深いものですね。
清楚な姿から川魚の女王とも呼ばれる鮎。旬は、禁猟明けの6月から8月頃までで、特に7月の若鮎が骨も柔らかく美味しいとされています。「鮎は土地土地で自慢するが、それは獲りたてを口に入れるからで、結局地元がいちばんうまい。すべて小型なほどよい」と綴ったのは、かの北大路魯山人。9月~10月にとれる産卵前の落ち鮎まで、繊細な鮎の美味しさを存分に楽しみたいものです。

――これから迎える梅雨。水豊かな国ならではの降りしきる雨が、早苗田の苗をすくすくと成長させ、真夏の緑鮮やかな青田へと変えていきます。

※参考
日本人の暦(筑摩選書)
魯山人の美食手帳