1月23日(土)は「若草山山焼き」(奈良県)の日。なぜ山を燃やすようになった? そのルーツとは? 〈tenki.jp〉|AERA dot. (アエラドット)

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1月23日(土)は「若草山山焼き」(奈良県)の日。なぜ山を燃やすようになった? そのルーツとは?

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打ち上げ花火の合図で点火される若草山

打ち上げ花火の合図で点火される若草山

若草山山頂にある「鶯塚古墳」

若草山山頂にある「鶯塚古墳」

若草山からの奈良市内の様子、手前には東大寺

若草山からの奈良市内の様子、手前には東大寺

毎年1月の第4土曜日に行われる「若草山山焼き」。
奈良県在住者のみならず、毎年10万人以上の観光客が訪れる名物行事です。
奈良市内を見渡せる標高342mの若草山全体に火をつけ、夜空の下で真っ赤に燃え上がる風景は、まさに圧巻。
奈良を代表する寺社、奈良市消防団など多くの関係者が集う奈良の一大行事ですが、ここまでの規模で山焼きを行うようになった理由は何なのでしょう?
いまだ確かな説が出ていないともいわれる若草山山焼きのルーツに迫ります。

若草山山焼きとは?

江戸時代から続く奈良の伝統行事「若草山山焼き」。
若草山は奈良公園内にある山ですが、3つの山が重なって見えることから「三笠山」とも呼ばれています。
隣にある春日山には樹木が生えていますが、若草山は33ヘクタールの芝生で覆われた草山。
鎌倉時代に農民が野焼きを行ったという記録が残されており、その頃からすでに草山の姿だったそう。
もともと「山焼き」には、病害虫を駆除して、灰を肥料にするという農業のメリットを重視した目的がありますが、若草山山焼きは、少し意味合いが違います。
「若草山山焼き」は、春日大社、東大寺、興福寺の神仏が参集し、先人の鎮魂と慰霊を執り行う「神事」。
ここで言う「先人」とは、若草山山頂にある「鶯塚古墳」の霊魂を指すとされていますが、誰のお墓かははっきりとわかっていません。
また、若草山山焼きには奈良全体の防災、世界の人々の平安を祈るという意味も込められています。

ルーツは東大寺×興福寺の確執!?

ともに世界遺産の一つであり、奈良のみならず、日本を代表する東大寺と興福寺。
実は、若草山山焼きのルーツはこの二つの寺の確執から生まれた、という説が長いことささやかれていたのです。
── 遡ること江戸時代より前。興福寺の所有物だった若草山……。
そして時間が過ぎ、江戸時代以降は、幕府の管轄となった若草山。
当時から、農業目的で山焼きを行う習慣はありましたが、ある日その火が東大寺の境内に達する大火に!
怒った東大寺は奈良奉行所にしっかり管理するよう要望を提出。
しかし、奈良奉行所は、もとの所有者である興福寺に責任を転嫁……。
この事態に怒ったのが興福寺です。結果、収拾のつかない事態に困り果てた奈良奉行所が、双方の争いを鎮めるため若草山を焼き払ったという説もあるのです……。
ある火災がもとで生じた東大寺×興福寺の確執。
長い間にわたって続いてきた確執が若草山山焼きのルーツ、という説もありますが、事の真相は定かではありません。
さらに時が過ぎ、今日では奈良を代表する名刹がともに手を取り合う「神事」となった若草山山焼き。
奈良の冬を彩る重要な伝統行事として、多くの人に愛されています。

「神事」としての若草山山焼き

若草山山焼きといえば、なんといっても山が炎で燃え盛る壮麗な風景が印象的です。
でも、山焼きにいたるまでに様々な過程を経てきました。
年明け7日の配信記事で「どんど焼き」をご紹介しましたが、この「どんど焼き」は奈良でも行われています。
通常「どんど焼き」は小正月に行われますが、春日大社では若草山山焼きの日に合わせて行われます。
これを「春日の大とんど」(1月第4土曜日/飛火野)といいます。
ここで出た御神火が山焼きの火となり、この御神火が春日大社から聖火行列で野上神社へ運ばれ、野上神社で山焼きの無事を祈る祭礼が行われた後、山麓まで届けられます。
そして、花火が盛大に打ち上げられ、一斉に点火! その風景は圧巻のひと言。冬の澄んだ空気の中で燃え盛る火は、神々しいの一語に尽きます。
勢いある火が山を覆い尽くす行事であることからも、点火を務めるのは約300人の奈良市消防団の方々。
安全を守りつつ、古都奈良らしい伝統行事をしっかり受け継ぐ裏方の存在も、この行事の見逃せないポイントといえるでしょう。
毎年1月の第4土曜日といえば、来週の23日(土曜)になります。
日程と時間が合えば、冬の勇壮な伝統行事を見に、奈良へ訪れてみてはいかがですか。


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