-
19年前
飯舘村の「椏久里」は12年7月から居住制限区域に指定された深谷地区にある
-
今
宿泊制限はあるが、市澤秀耕さん・美由紀さん夫妻は原発事故以降、毎週様子を見に戻っている
-
19年前
コーヒー豆を焙煎する美由紀さん
-
今
スペースの制約があり、福島市内の「椏久里福島店」には持っていけなかった焙煎機
-
19年前
開店3年の「椏久里」店内の美由紀さんと秀耕さん
-
今
今年3月の店内
-
19年前
4世代同居の大家族
-
今
家族団らんの場だった居間には避難先に持っていけなかったこたつが物寂しく残っている
-
19年前
子どもたちも手伝って、夕飯のおかずに春巻きをつくる
-
今
台所には日差しだけが差し込み、もう家族の笑い声は聞こえない
-
飯舘村・椏久里は今…
14年7月、再び飯舘村の「椏久里」を訪れた。カフェに隣接するブルーベリー畑は、本来ならば収穫の季節。しかし、主のいない畑は、熟した実から猿に食べられて、一面紫色の景色を見ることはできなかった
-
除染もまだだ。少し離れた民家では、除染作業が行われていた
-
椏久里福島店。二本松市から移築した大きな古民家の一部を借りて営業している
-
避難先の住宅では、夫・秀耕さんの母と一緒に3人で暮らしている。この日、19年前には小学生だった長男の一家が遊びに来ていた
-
関連記事
-
震災から3年あまり… 笑顔で暮らす人々の姿だけが消えた喫茶店
-
福島県飯舘村で「移住者101人」 避難指示解除から3年余り、戻らない住民も多い一方で
-
被災地でハードルが高い「帰村」 人口が急減した福島・飯舘村を支える移住者の知恵
記事本文に戻る