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ドラムス その2

文・林建紀

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●ケニー・クラーク(1914‐1985)

モダン・ドラミングの開祖

 ケニー・クラークは、ジョー・ジョーンズが編み出したハイハットによるリズムのキープをトップ・シンバルに置き換え、スネアやバス・ドラムで不規則なオフ・ビート・アクセントをつけるという試みによってモダン・ドラミングの扉を開いた。しかし「クラークは巨匠か?」ときかれたら、「そら、ちゃうやろ」とこたえるだろう。名演となるとマイルス・デイヴィス(トランペット)の『ウォーキン』しか思い当たらず、名盤ガイドで一項が設けられることもない。巨匠とは呼びづらい存在が指針となった希な例ではないか。

 ペンシルバニア州ピッツバーグに生まれる。高校でピアノ、トロンボーン、ドラムス、ヴァイブ、楽理を学ぶ。35年はロイ・エルドリッジ楽団とジター・ピラーズ楽団で演奏、ニューヨークに出て、37年にエドガー・ヘイズ楽団に加わった。3月(初録音)から10月の録音は音は良くないが、ハイハットのレガート、スネアの規則的なアクセント、バス・ドラムの4ツ踏みはどうにか聴きとれる。モデルはチック・ウェッブとシド・カトレットだったと見ていいだろう。ニューヨークに出て日の浅いジョーンズの影は認められない。

スウィング・トゥ・バップ

 38年にはバス・ドラムがアクセント程度になり、ジョーンズ化が見てとれる。39年はクロード・ホプキンス楽団で、40年から41年はテディ・ヒル楽団で演奏した。40年2月のシドニー・ベシェ(クラリネット)の録音で当時のスタイルが知れる。3曲は役立たずだが、《ワン・オクロック・ジャンプ》がジョーンズそのものの躍動的なドラミングをとらえていて貴重だ。41年5月の「ミントンズ・プレイハウス」での歴史的な録音ではスタイルはほぼ完成していて、開発が急速に進んだことがわかる。その過程を追える記録はない。

 43年から46年は兵役に就く。リズム面でビ・バップを創始したクラークは、勃興には関われなかった。復員後はディジー・ガレスピー楽団に参加、48年にはタッド・ダメロン楽団と二股でビ・バップの絶頂を支える。この頃には独特のオフ・ビート感覚(注)は薄れ、流動感が増す。マックス・ローチからの逆影響だろう。バップ期のドラマーは多少ともクラークの影響を受けている。大物はローチとアート・ブレイキーだ。ハード・バップ期ではエルヴィン・ジョーンズ、アルバート・ヒース、ルイ・ヘイズに痕跡が認められる。

 注:クラークのアクセントは音感から“クルック・モップ”、のちに“クルック”と呼ばれた。ビギナーの頃は(今でもか)ムチ打ち症になりそうで、どうにも馴染めなかった。

●マックス・ローチ(1924‐2007)

バップ・ドラミングの王者

 マックス・ローチはクラークの奏法を発展させ、“より高く、より速く、より遠く”を標榜した?ビ・バップに最も適ったドラミングを完成させた。トップ・シンバルではビートを細分化して流動感に溢れるリズムを送り出し、スネアやバス・ドラムによる爆弾投下は軽やかでタイトなものに改め、切れ味鋭いスピーディーなスタイルを築きあげる。聴き手が小節を見失うことのない歌うようなソロもクラークには求めえないものだ。ジョー・ジョーンズに始まったドラムスの解放は実を結び、ドラマーの自由度は格段に高まった。

 ノースカロライナ州に生まれ、ブルックリンで育つ。10歳でドラムスを始め、マンハッタン音楽院で打楽器を学ぶ。正確なリズム感は教育の賜だろう。18歳までに「ミントンズ・プレイハウス」に入り浸る。「クラークの影響は受けていない」というローチの主張は、この時期に限っては信じていい。45年までのローチはクラーク以前のスタイルなのだ。初録音は43年12月、コールマン・ホーキンス(テナー)の録音で、44年2月にはホーキンスの史上初のバップ録音に参加した。レガートもアクセントもデイヴ・タフを思わせる。

モダン・ドラミングを完成

 まもなくローチはべニー・カーター楽団に入った。44年から45年の放送録音に聴く大車輪のドラミングはウェッブ~ジョーンズ系だ。春にニューヨークに戻り、ディジー・ガレスピー(トランペット)、チャーリー・パーカー(アルト)と共演する。ただ、この時点ではバッパーもどきだ。尻にスウィングの殻をつけ、スピードを除いてはビ・バップに適合していない。46年に入ると多くの歴史的な録音に参加し、モダン化を進行させていく。とはいうものの、しばらくはスピードと正確さがとりえの単調なドラミングに終始した。

 47年12月のパーカーの録音で俄然うまくなり、ローチらしくなる。成長の影に何があったのだろう。5月のパーカーの録音でクラーク流のアクセントが見られる。復員したクラークに触発され、何よりもスウィングすることを学んだのではないか。こうなると“オニニカナボウ”だ。クラークの敵ではない。やがてローチが完成させる真のモダン・ドラミングはクラークに勝る影響を及ぼした。影響を受けた大物は、バップ期ではブレイキーとロイ・ヘインズ、ハード・バップ期ではフィリー・ジョー・ジョーンズとエルヴィンだ。

●アート・ブレイキー(1919‐1990)

ハード・バップの火付け役

 ジャズ・ドラマーといえば、獰猛な風貌とともに(失礼)アート・ブレイキーが即座に浮かぶ方も少なくないだろう。雷鳴のようなシンバリング、ナイアガラ瀑布にたとえらえるロール、山をも動かす怒涛のソロはモダン・ジャズを象徴するものだったといえる。もっとも、その特徴であるハイハットの2拍4拍踏みとロール打法は古い奏法の焼き直しだった。いわば“オールド・ワイン・イン・ニュー・ボトル”だが、“モア・ファイア、モア・ブラック”を旗印としたハード・バップに見事にハマり、広くとり入れられていく。

 ペンシルバニア州ピッツバーグに生まれる。学校でピアノを学び、17歳の頃には自分のバンドを持ち、やがてプロ入りするが、一夜にして(注)ドラムスに転向した。ウェッブとシドをモデルにし、42年にはメアリー・ルー・ウィリアムス(ピアノ)と、43年から44年はフレッチャー・ヘンダーソン楽団で演奏する。44年にビリー・エクスタイン楽団に参加し、ビ・バップの洗礼を受けた。初録音は9月、ウェッブ流のブレイクが聴こえる。45年2月~3月の放送録音では、バッキングはジョーンズ流で、ブレイクはウェッブ流だ。

ナイアガラとドア・ノック

 47年10月と11月のセロニアス・モンク(ピアノ)、12月のデクスター・ゴードン(テナー)の録音では、マイルドなクラークといった感じだ。同月の初リーダー録音では、クラークを基調としつつも一転してワイルドで、ブレイキーらしさも見せている。やがてナイジェリアに赴いたブレイキーは現地のリズムに触発され、帰米後に自身のドラミングにとり入れ、バップ・ドラミングから脱却していく。のちにエルヴィンが発展させたことでブレイキーの功績が見過ごされがちだが、ポリリズム・ドラミングの元祖はブレイキーだ。

 ハイハットの2拍4拍踏みとロールを繰り出す、完成間近の姿は50年2月の、ドア・ノック風のリム・ショットを叩き込む、ブレイキーそのものの姿は51年6月のマイルスの放送録音にとらえられている。ハード・バップの導火線となったマイルスの『ディグ』に参加する4ヵ月前だ。多くの後進がローチとブレイキーを融合してスタイルを形成していった。バップ期のヘインズとブレイキーの識別は難しい。大物はハード・バップを代表するドラマーになるフィリーだ。エルヴィンとヘイズもブレイキーの奏法をとり入れている。

 注:ギャングが経営するクラブで、リーダーでピアニストのブレイキーは自分の番で弾かなかった。いや、弾けなかった。見かねた客が代わりを務める。若き日のエロール・ガーナーだ。オーナーはブレイキーに「お前はドラムを叩け」と脅した。心温まる話だ...

●フィリー・ジョー・ジョーンズ(1923‐1985)

ハード・バップの代表選手

 ハード・バップは極端に走った前衛音楽ビ・バップの軌道修正だった。ドラマーの代表格はバップ期にスタイルを確立していたローチ、バップ期には大した実績を残せなかったブレイキー、それに両者のスタイルを融合したフィリー・ジョー・ジョーンズだ。フィリーは優れたリズム感とワイルドなスタイルで50年代の初頭に頭角を現し、ハード・バップ期には数多くのセッションに参加する。ローチのスタイルをもとに、ブレイキーのハイハット奏法やロール打法をとり入れ、ハード・バップの標準ドラミングを確立した大物だ。

 ペンシルバニア州フィラデルフィアに生まれる。本名はジョー・ジョーンズだ! フィリーは生地の俗称で、偉大な先輩に敬意をはらってつけた。子供の頃にピアノ教師の母からピアノを学び、地元のバンドで活動する。兵役を終えた47年にニューヨークに出た。「カフェ・ソサエティ」に雇われ、パーカー、ガレスピー、ファッツ・ナヴァロ(トランペット)と共演し、ジョー・モリス(トランペット)、タイニー・グライムス(ギター)、ライオネル・ハンプトン(ヴァイブ)など、主にジャンプ~R&Bグループで活動する。

変わらない汎用型スタイル

 初録音は48年9月、モリスのセッションだ。R&Bながら、のちにハード・バップを背負って立つ面々が(注)が居並ぶ。前後のドラマーに比べてもフィリーはR&B色が濃く参考にならないが、痛快さはフィリーらしいといえる。このあとも残っているのはジャンプ~R&Bグループの録音で、スタイル形成を知るには不向きだ。初のジャズ録音となる53年1月のマイルスの録音ではローチとブレイキーが出没するが、2月のトニー・スコット(クラリネット)のライヴでは、両者の影を拭い去ったフィリー・スタイルが聴ける。

 55年の秋にマイルスのグループに参加し、名をあげていく。このあと名演は数多いが、最盛期に大きな変化はない。奔放とされるが、総じて堅実で、中庸をいく汎用型だった。変える必要は感じなかったのだろう。同僚のレッド・ガーランド(ピアノ)とポール・チェンバース(ベース)にも似た節がある。偉大なマンネリズムは黄門トリオに通じるが、入浴シーンはない。フィリー色が濃いのはヒースとビリー・ハートで、フィリーをアク抜きしたのがポール・モチアンだと思う。最高の継承者は新時代を切り開くエルヴィンだ。

 注:マシュー・ジー(トロンボーン)、ジョニー・グリフィン(テナー)、エルモ・ホープ(ピアノ)、パーシー・ヒース(べース)。

 補記:62年12月のフレディ・ハバード作『ヒア・トゥ・ステイ』で、フィリーはヴァーティカルからホリゾンタルに、エモーショナルからテイストフルに変貌する。全楽歴を追うのが課題ではないし、変貌後に大きな影響を及ぼしたわけでもないので、論考は見送る。

●エルヴィン・ジョーンズ(1927‐2004)

ジャズ・ドラムス史上の革命児

 モダン・ドラミングはジョー・ジョーンスが示唆し、クラークが試作し、ローチが完成し、フィリーが発展させ、エルヴィン・ジョーンズが革新した。それまでのドラミングは両手両足を駆使しつつも個々の規則性は保たれていたが、エルヴィンは複数のリズムをからみ合わせ、躍動的でパワフルなドラミングを編み出す。それはジョン・コルトレーン(テナー)のもとで育まれたとされる。エルヴィンも同僚のマッコイ・タイナー(ピアノ)と同様に短期に豹変するのだろうか、それ以前に“らしさ”は見当たらないのだろうか。

 ミシガン州ポンティアックに生まれる。高校在学中に演奏を始め、50年代の前半までデトロイトで兄サド(トランペット)やビリー・ミッチェル(テナー)と活動した。初録音はミッチェルのデトロイト録音だ。48年とされるが疑わしい。46年から49年は兵役に就いていたこともあるが、立派にハード・バップなのだ。ドラミングも感覚的に新しい。実にワイルドでブレイキーが脳裏をかすめるが、傾聴すればソロを含めてローチがモデルであることがわかる。それに続く55年7月のマイルスの録音はシケた演奏で参考にならない。

ポリリズム・ドラミングを完成

 56年の春にニューヨークに進出、J.J.ジョンソン(トロンボーン)をはじめ、多くの録音に参加する。基調はフィリーで、ローチ、ブレイキー、ヘインズが出没するといった按配だ。名演とされるトミー・フラナガン(ピアノ)の『オーヴァーシーズ』やソニー・ロリンズ(テナー)の『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』も個性半開だと思う。60年までに手八丁足八丁の“らしさ”を炸裂させたのは、58年4月のペッパー・アダムス(バリトン)の録音、59年2月のギル・エヴァンス(作編曲)の《ラ・ネヴァダ》くらいだろう。

 才能が全面開花するにはハード・バップをこえる器が必要だった。60年9月、エルヴィンはコルトレーン・カルテットに加わる。10月の初録音に聴くエルヴィンはエルヴィンにほかならない。やはり最大の影響(環境)を与えたのはコルトレーンだった。革新的奏法の追従者はハード・バッパーには見当たらない。エルヴィンに示唆され独自のスタイルを築きあげた大物にトニー・ウィリアムスが、その先にジャック・デジョネットがいる。ノーマン・コナーズとレニー・ホワイトはエルヴィンとトニーの融合系と見ていいだろう。

 さて、本連載はこれで終わらせていただきます。巨人列伝とは一味違ったものになりましたが、いかがでしたでしょうか。人選や内容に異論があろうかと思いますが、叩き台にしていただければ幸いです。ご愛読いただき(そう思いたい)ありがとうございました。

●参考音源(抜粋)

[Kenny Clarke]
Edgar Hayes 1937-1938 (37.3-38.1 Classics)
Sidney Bechet 1938-1940 (40.2 Classics)
After Hours at Minton's/Thelonious Monk (41 Definitive)
After Hours/Charlie Christian, Dizzy Gillespie (41.5 OJC)

[Max Roach]
Rainbow Mist/Coleman Hawkins (44.2 Delmark)
Dizzy Gillespie-Charlie Parker Town Hall (45.6 Uptown)
The Complete Studio Recordings Vol.2/Charlie Parker (47.5 Savoy)
Charlie Parker Story on Dial Vol.2 (47.10-12 Dial)

[Art Blakey]
Together/Billy Eckstine (45.2/3 Spotlite)
Art Blakey & James Moody New Sounds (47.12 & 48.10 Blue Note)
All Stars Recordings/Miles Davis (50.2 Definitive)
Complete Birdland Recordings/Miles Davis (51.6,9 Definitive)

[Philly Joe Jones]
Joe Morris 1946-1949 (48.9-49.5 Classics)
Tiny Grimes and his Rocking Highlanders Vol.1 (49.8 Collectables)
Collectors' Items/Miles Davis (53.1 Prestige)
Tony Scott in Hi-Fi (53.2 Universal)

[Elvin Jones]
Swing... Not Spring/V.A. (48 Savoy)
A Night at the Village Vanguard/Sonny Rollins (57.11 Blue Note)
10 to 4 at the 5 Spot/Pepper Adams (58.4 Riverside)
My Favorite Things/John Coltrane (60.10 Atlantic)


(更新 2008/3/21 )


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プロフィール

林建紀

 1950年兵庫生まれ。システム開発会社などを経て独立。零細企業経営のかたわら、ジャズ研究にいそしんでいる。訳書に『ローランド・カーク伝』、共著に『JAZZ“名盤”入門!』などがある。