阿坡(A.PO)
【武漢書簡番外編】新型コロナがもたらした思わぬ変化 中国人の「日本観」
4月7日、京都府に中国から届いた医療用マスクの箱には「がんばろう!日本」とのメッセージが書かれていた(c)朝日新聞社
新型コロナウイルスによる肺炎が流行した武漢で、作家の方方氏が発表し続けた日記が世界の注目を集めた。温和で、中国共産党の権威に挑むものではまったくなかったが、流行を食い止められなかったことについて責任を追及する考えを示しただけで、中国国内で2カ月にわたり数千万のネットユーザーの袋叩きに遭い、脅迫を受けた。この「私はウイルス――武漢ロックダウン日記」は、方方氏と同じく武漢で暮らす一般市民の男性「阿坡(APO)」が、中国共産党を批判する反省の書として記したものだ。「一人の健全な精神を持つ中国人」として、世界に向けてお詫びの気持ちを示したいという。このコロナ禍がもたらした思わぬ変化は、中国人の日本観の変化だという。
* * *
■2020年3月9日 ウイルス禍で日本人に対するよい評判が沸いた(番外編)
1978年から80年代を通じて日本のテレビ・映画作品が中国を風靡したことを50歳以上の人なら誰でも知っている。「追捕(君よ憤怒の河を渡れ)」「望郷(サンダカン八番娼館 望郷)」「血疑(赤い疑惑)」「排球女将(燃えろ、アタック)」「阿信(おしん)」「姿三四郎(同)」「寅次郎的故事(男はつらいよ)」「幸福的黄手★(幸福の黄色いハンカチ/★ははばへんに白)」などなど枚挙にいとまがない。高倉健、山口百恵、三浦友和らはどこの家でも知っている日本人俳優で、その影響力と愛され方は現在人気絶頂の中国人スター、アイドルにひけを取らない。その年代の中国人が持っていた日本に対する好感度が非常に高かったことが想像できるだろう。
ところがこの10年、日本のテレビ・映画は中国の映画館チェーンのスクリーンからほとんど姿を消した。テレビには抗日ドラマが溢れかえり、80年代に若者だった、つまり日本作品に熱狂した人たちは毎晩飽きもせず抗日ドラマを見て憤慨し、残念がり、揚げ句には日本とは必ずもう一戦やらねば、と声を張り上げる。
面白いことに2019年、中米貿易戦争が激化すると中央電視台映画チャンネルは「抗米援朝(アメリカに抗し朝鮮を助ける)」の戦争映画を1週間連続して放映した。アメリカは攻撃に堪えきれず最終的には中国が勝利を勝ち取るという寓意を示しているのだ。
同時に日本映画も帰ってきた。同じように1週間連続して放映されたのは高倉健の映画作品だった。このたびの新型コロナウイルスの流行発生直後、いの一番に支援の手を差し伸べたのは日本の政府と民間だった。大量の援助を提供してくれたことで中国にはホットな議論と日本に対するよい評判が沸き起こった。
皮肉にも、巷のうわさではいくつかの製作会社が悲鳴を上げているという。彼らがこの1、2年のうちに巨費を投じて製作した抗日ドラマが全部、政府によって放映禁止となって元を取れなくなったからだそうだ。大いにありそうな話だ。
■若年層で好感度上昇
新型コロナウイルスの流行爆発で、私たちは日本人が友好的であるばかりか気前もいいのを知って驚いた。「山川異域、風月同天(山や川は別の場所にあるが、風や月は同じ空にある意)」――これは武漢の都市閉鎖後いち早く日本から武漢に贈られたマスクを梱包した段ボール箱に書かれていた句だ。多くの中国人は、日本人が古い漢語を使う力を持っていることにも驚嘆した。
ネットでは(もちろん若い人が多い)、日本に対する好感度が上昇した。人々がその後「抗日ドラマ」を見てどんな感想を持ったかは想像するのが難しいが、ほどなく「抗日ドラマ」がテレビで放映される頻度は減るのではないかと思う。
共産党政府は「仇恨教育(敵への憎悪を高める教育の意)」に力を入れている。それは中国人自身が感情的に求めるものでもある。中国人の日本に対する見方については、私自身がいい例だ。
20年前、私が初めて日本へ出張する話をもらったとき、私は断った。もちろん日本が嫌いだったからだ。日本への敵視が中国の絶対的な主流であり、政治的にも正しいのは間違いない。テレビに毎日登場する日本人は狂暴悪辣で無慈悲に人を殺すイメージを抱かせ、むしろ恨みを持つなというほうが難しいぐらいだ。よほど理性的でない限り水には流せない。そもそも理性的でないのが中国人だ。そういうわけで過去30年のうち25年、私はずっとぶれずに日本嫌いだった。車も家電も日本製を買ったことがなかった。
しかし2014年、私はハワイへ行き休暇を過ごした。パールハーバー記念館には多くの日本人観光客がいた。その数はアメリカ人観光客と半々に見えた。みな静かに見学していた。ワイキキビーチでもバカンスを楽しむ日本人に出会った。アメリカ人に劣らぬ数だった。
中国人のロジックでは「日米必ずや一戦あり」となるはずなのだが、ひょっとして太平洋戦争はそれほど悲惨な戦いではなかったのか? 日米間の遺恨はどこへ行ってしまったのか? 私は、若いころ日本車、日本製品をけっして買わないぐらい反日だったことを思い出してとても恥ずかしくなった。
■仮想敵のレッテル
2017年、私は初めて日本の土を踏んだ。日本が想像していた通りの文明国家であることを強く印象づけられた。いろいろな部分で私の予想を超えていた。その前の数年間の反省と慚愧がさらに重たく我が身にのしかかった。私のように自立した思考ができると自任する人間でも、中国にいては分からないのだ。文明の進歩が遺恨と責任転嫁からは生まれないと分かるのに20年を超える時間を要した。文明は進歩しなければならない。まず私たちは、文明は進歩し得るものだと信じなければならない。すでに辛く苦しい努力を積み重ね顕著な成果を上げている国民がいるのを認めなければならない。
中国に対する私の理解では、東アジアには文明国家への進化モデルが二つ、成功例としてあるが、依然として弱肉強食の社会に生きる中国人は多くの問題点から抜け出せずにいる。このたびの新型ウイルス流行で日本人が示した態度は、中国人に、とくに若い中国人に、日本人に対する新しい認識、考え方を芽生えさせた。しかし、国家装置が少し力を入れて導けば、私たちの遺恨はおそらく完全に、全部アメリカに移されるだろう。
共産党政府は永遠に仮想敵を必要とする。中米貿易戦争の勃発から、政府は日本に貼っていた仮想敵のレッテルをすでにはがし始めている。アメリカ、これが次の重大目標になるのは間違いない。残念ながら非常に多くの中国人の気持ちにぴったり合う。
○阿坡(A.PO)/一武漢市民。77日間の武漢都市封鎖(ロックダウン)を経験し、この手記を執筆。「阿坡」は本名ではない。全世界に多大な迷惑と災難をもたらした新型コロナウイルスについて、一人の健全な精神を持つ中国人としてお詫びの気持ちを表すために、英語の「apologize(お詫びする)」から取った。全世界の国々が中国からのお詫びを待ったとしても、それが述べられることはない。だか、この名前を用いて手記でお詫びの気持ちを表したいと考えている。
訳:kukui books
※AERAオンライン限定記事
AERA
2020/10/02 17:00