9年前はシーベルト、メルトダウン、ホットスポットなどの語が飛びかっていた。今度はクラスター、パンデミック、ロックダウン、オーバーシュート……。天災は忘れた頃にやってくるが<人災は、忘れぬうちにやってくる>。<災厄の渦中にいて、こんな文章を書くことは二度とあるまいと思っていたのに、パンデミックの日々を記録しなければならないとは>。

 川村湊『新型コロナウイルス人災記』は3・11後、いち早く『福島原発人災記』を出版した著者による緊急事態宣言下(4月7日~5月7日)の日記である。

 世の中には震災であれ感染症であれ、何事かが起こるとネットに張りついて情報漬けになる人と、何の関心もなく日常生活を送る人の2種類がいて、川村湊は(私もだが)明らかに前者である。このタイプは政府に怒り、ジャーナリズムに怒る。しかも<私は怒っていた。9年前よりもっと>。

<外出の自粛、人的接触の8割減は不可能であり、意味のないことだ>と川村は書く。なぜならパチンコ店とも居酒屋ともカラオケともスポーツジムとも映画館ともデパートとも無縁だから。<残りの2割に、病院への通院や、人によってはリハビリ・センターや介護施設への外出があると思うが、実はそれらのところがコロナウイルスに一番感染の危険度が高い場所なのである>(4月30日)

 川村が怒っているのはワケがある。大学を定年退職した後、彼は札幌に居を移し、週に3日、病院で4時間以上の人工透析を受けているのだ。重症化リスクは高く、しかし病院通いは休めない。

 いきおい他者との接触には過敏になる。近くの公園で子どもたちが近寄ってくると、心の中で<こら、ソーシャル・ディスタンシングを守れ>。いつもなら赤ん坊を抱いた母親と話すのは喜ばしいが<今回ばかりは、もっと離れてくれればいいと思うばかりだ。我ながら、可愛げのない老人となったものだ>(5月3日)。

 著名な文芸評論家というより、身近なインテリおじさんの日記。共感する人が多いと思う。

週刊朝日  2020年7月31日号