辺野古(沖縄県名護市)の新基地建設にともなう埋め立ての是非を問う県民投票が間近に迫っている。全市町村で実施できることをいまは祈るばかりである。

 とはいえ、本土と沖縄の、基地に対する意識の差は大きい。山田健太『沖縄報道』の副題は「日本のジャーナリズムの現在」。ちょっと教科書的で要点が絞り切れていないウラミは残るものの、沖縄に関する報道を軸に、現在のジャーナリズムが抱える根源的な問題を考えさせる意欲的な一冊だ。

<かつては「温度差」と呼ばれていた沖縄と本土の意識差は、その後「溝」となり「対立」へとより深刻化し>たと著者はいう。<いまや「分断」(断絶)ともいえる状況>になっている、とも。

 周知のように、沖縄には「沖縄タイムス」と「琉球新報」という2紙の県紙が存在する。1県1紙態勢で、地元紙と県政が一体化しやすい他県とちがい、沖縄では競合2紙がときに競い合い、ときに協力し合うことで、健全な報道が担保されてきた。しかしながら、沖縄2紙と、全国紙や他の地方紙との乖離は大きい。

<現在の辺野古における基地建設を、沖縄県及び沖縄の多くの人たちは「新基地建設」と呼ぶ。これに対し、日本政府は「基地移設」と称し、あくまでも現在の普天間基地を移すものに過ぎないという立場>なのがその一例。在京メディアもほぼ同じ視点で報道してきたといえるだろう。<デモを報じることを「特別なこと」として認識する本土紙と、「当たり前」として報じる沖縄地元紙の違い>も決定的で、新基地建設反対運動への罵詈雑言はインターネット上で拡散され、「偏向報道」という誤ったイメージが流布されていく。

<沖縄が「闘っている」ものは、かつては米軍であり、国民の無関心>だったが、<いまは日本政府であり、本土の偏見であり、そして県民の亀裂>であるという。まともなメディアが孤立する異常さ。<沖縄報道は日本のジャーナリズムの写し鏡であり、沖縄は日本の民主主義のリトマス紙>という言葉を噛みしめるべきだろう。

週刊朝日  2019年2月15日号