書評『殿様は「明治」をどう生きたのか』河合敦著 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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《新書の小径 (週刊朝日)》

殿様は「明治」をどう生きたのか 河合敦著

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青木るえか書評#新書の小径

“最後の大名”の生々流転

 書名を見てわかる通り、明治維新を乗り越えた「殿様」がどう暮らしたか、というネタを歴史学者が集めた本で、大量の「大名」様が、明治維新にあって、ヒドイ目にあう、ちゃっかり切り抜ける、ぼう然としている、などの様が紹介される。突然領地を没収された殿様が、どう身を処し、家来を守っていくか。一種のビジネス書として読むことも可能だが、そんなことよりも「殿様が右往左往している」のを面白く読むほうが楽しい。
 会津藩の松平容保や土佐藩の山内容堂など、時代劇に出てくるような有名大名から、広島藩の浅野長勲、米沢藩の上杉茂憲、徳島藩の蜂須賀茂韶といった「幕末史的にそれほど有名じゃないが名の知れた大名」の有り様が書かれている。上杉茂憲が沖縄県令になって、独特の(住民を苦しめる)貢租収奪システムの改革に手をつけ、あたかも上杉鷹山のやったように「沖縄を立て直す」気持ち満々だったのが、熱意がありすぎて辟易されて途中で挫折したとか、知りませんでした。
 全体に、殿様が「ヒドイ目にあった」とはいっても、「藩のために詰め腹切らされる家臣」級のヒドイ目にはなかなかあっていない。なんだかんだいってノホホンと暮らしてノホホンと死んでたりしている。
 そんな中で請西藩主・林忠崇には驚いた。薩長相手に戦って賊軍となり(このとき藩主自ら脱藩届を出している)、幽閉された後、地元に帰って一農民として農業をやり、その後下級官吏に転じ、そこも続かず商人を志して函館にわたる。次に座間市の寺男として寺に入るが何もせず、また大阪の役場に勤め、娘が結婚したらその婚家で一緒に住みつつ、68歳で近所の人に鎖鎌を教えていたという。亡くなったのが昭和16年、享年94で、最後の大名となった。歴史に名は残らないがある意味すごい元「殿様」だ。この人のことを知れただけでもこの本を読んだ甲斐があった。

週刊朝日 2014年8月8日号


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