書評『戦国武将と男色 知られざる「武家衆道」の盛衰史』乃至政彦著 |AERA dot. (アエラドット)

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《新書の小径 (週刊朝日)》

戦国武将と男色 知られざる「武家衆道」の盛衰史 乃至政彦著

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青木るえか#新書の小径

男色はただの恋愛にすぎない

 男色なんていうとつい飛びついてしまうのだが、男色関係の歴史本は案外つまらない。書く側が「こんな男色があったらいいな~」という願望から真実をねじまげて、それらしく書いてるのがけっこうあるからだ。だが、この本は、その手の牽強付会本ではない。
「戦国時代の男色」にありがちなイメージ、たとえば男色は戦場で生まれたとか、武士のたしなみであったとか、多くの武将が男色で出世したとかについて、戦国史研究家が史料を綿密に調べた上で「実態に即していない」とバッサリ斬る。戦国時代に主従強化のために男色が活用された事実は見つけられず、むしろ男色は家中の乱れを生むものと見なされていた様子すらあるようなのだ。足利義満と世阿弥の関係も、男色による寵愛みたいなことになってるが、身分の低い者が主君に寵愛されてのし上がるという図式でいえば、それは男色に限らず、豊臣秀吉だってそうだろうと言われて、「ハッ、そうか」となる。
「江戸時代成立の戦国物には、無暗に美童が現れて寵愛されるが、いつも都合よく美少年が現れるのは不思議である」という記述など笑ってしまった。ボーイズラブ小説など読んでると「都合よく美少年が現れる」のばっかである。江戸時代の人も現代人も本質は変わらないってことか。
 もちろん、戦国時代に男色が皆無であったわけでない。「確実な男色」を紹介している。そして、その時代の男色は、それほど美しいお話じゃないことも教えてくれる。やっぱりあからさまに「尻で出世」なんてことは、当時でも「笑い物」になったことだし、周防の大内義隆など、それで滅んだ大名もいる。
 伊達政宗も男とよろしくやってたらしいが、そこにはロマンもなく、ただ「男とも楽しみました」って感じのようであるし。つまり、今も昔も同性愛は「ふつう」のことであって、ただの恋愛にすぎないという醒めた事実がわかるのである。

週刊朝日 2014年2月21日号


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