昭和の“撮り鉄”にも人気!? 国鉄車両とはひと味違う「軽便鉄道」に魅了された理由
連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」

静岡鉄道・駿遠線(静岡県)。「越すに越されぬ大井川」の木製橋脚橋梁をのんびり渡河する駿遠線下り列車。大井川―遠州神戸1966年9月4日(マミヤC33・セコール80ミリF2.8・トライX)
【諸河久さんが撮影した貴重な「軽便鉄道」の写真(計8枚)はこちら】
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小学校高学年の筆者が所有していたカメラは、写真好きの叔母に買ってもらったボルタ判(24×24ミリ)の「マミヤ・マミー」だった。
当初は鉄道模型製作のための参考写真の撮影が目的であったが、地元の都電や東京、上野駅頭の国鉄列車などを被写体にするようになった。目測距離計とフィルムの箱に書いてある露出値を目安にした撮影では、結果は知れている。フィルムを現像に出すと6割方はピンボケか露出不足で気落ちした記憶が残っている。その頃、図書館で閲覧した鉄道雑誌の私鉄特集記事に各地で働く「軽便鉄道」の詳細が掲載されていた。国鉄列車よりも二回りも小さい軽便列車に親しみを感じ、地方の難読な駅名を辞書で調べたりするうちに「上級学校に進学したら軽便を訪問してカメラで記録したい」という気持ちが募ってきた。

頸城鉄道自動車(新潟県)。1966年5月12日に挙行された「頸城鉄道コッペル2号機惜別運転」は空前絶後の軽便イベントとなった。新黒井駅で発車を待つ磨き上げられたコッペル2号機(マミヤC33・セコール80ミリF2.8・ネオパンSS)
高校に進学し、親に無理を言って待望の一眼レフカメラを入手する。前年にモデルチェンジされた「アサヒペンタックスSV」が学生時代の愛機となった。欲しかった交換レンズも、夏休みのアルバイトの成果を注ぎ込んで、プリセット絞りのタクマー200ミリF3.5望遠レンズを手に入れた

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