出発の日、ニューヨークでは大雪が降っていた(撮影/小神野真弘)
出発の日、ニューヨークでは大雪が降っていた(撮影/小神野真弘)

 私を乗せたグレイハウンドがNYを発ったのは4月初旬のある朝。マンハッタンは大雪に見舞われていたが、グレイハウンドの旅はとても快適に始まった。体が大きいアメリカ人向けにシートが設計されているため、小柄な私はのびのびと座れる。約3時間ごとに休憩が入るので、疲労もたいしたことはない。乗客はあまり裕福ではなさそうなラテン系と黒人ばかりだが、身の危険は感じない。休憩の際は貴重品以外の荷物を座席に放置していたが、荒らされることなど一度もなかった。グレイハウンド、余裕じゃん、そんな感慨を抱き始めていた。

 状況が変わったのは日が暮れ始め、ノースカロライナ州のローリーで客の乗り換えがあった後だ。それまでは客が少なく、私の隣も空席だったが、50代くらいの白人男性がそこに座った。

 このおっさんが極めて問題のある人物だった。

 まず、強烈な体臭。どれほど風呂に入らなければこれほどのレベルに達せるのか。しかもベロベロに泥酔しており、息を吐くたびにこちらまで酔っ払いそうなほど酒臭い。

 ノンストップで話しかけてくるのも問題だった。いつもならば私も隣席の人と会話をするが、この男性の話題は「さっきまで飲んでいたバーの店員の女が俺を馬鹿にした」と「俺は昔金持ちだった」の2パターンのみで、それを壊れたラジオのように延々と繰り返すのだ。

グレイハウンドの車内(撮影/小神野真弘)
グレイハウンドの車内(撮影/小神野真弘)

 次第に苦痛になり、会話を切り上げて本に目を落とすと、「無視すんじゃねぇよ」「その本は中国語か?」「中国語教えろよ」などと話し続け、日本人であると伝えても「そうかい、で、中国人はなんで全員同じ顔なんだ?」と全く会話にならない。そればかりか彼は挑発的、もっと言えば加虐的な表情を浮かべていて、嫌がらせを楽しんでいるようにしか見えなかった。

 ダメ押しはノミである。会話をさばくのに疲れ果て、シートに身を預けて目を閉じていると、何か小さな飛沫のようなものが体に当たる感触に気がついた。バス内はすでに消灯済み。スマホの画面で照らして絶句した。おっさんの体から無数のノミが私に "移住"していたのだ。

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もう限界… 満席のバスで逃げ場なく