もしも米中間にしっかりとした対話ができていれば、ソフトランディングも可能だった問題である。しかし、トランプ政権以来の「新冷戦」とも言われる米中対立が長引き、いまや米中間には非公式にお互いの意思を確認しあう水面下のパイプはほとんどなくなったとみられている。コミュニケーションを欠いたまま、文字通りの「空中戦」でお互いが批判を繰り返した結果、ブリンケン国務長官の訪中は延期され、この問題はすっかり米国内部で「国家安全保障に関わる重大問題」という認識が定着した。ほとんど米国本土への攻撃を受けたことがない米国人は「本土」への直接的脅威については過剰なほどに敏感だということもあり、議会も共和党・民主党を問わず、すっかり中国批判で盛り上がっている。

 2月18日、ドイツでブリンケン国務長官と王毅・共産党政治局員が会談して意思疎通を図った。双方とも非難の応酬に終始したとされる。本当の関係修復には相当時間がかかりそうである。

 本来、習近平・国家主席は3期目に入って権力基盤を固めたこの時期に、ウクライナ戦争の泥沼に足を取られたロシアとは微妙に距離を置く一方で、長く続いた米中の不和を緩和させ、世界のリーダーとしての地位を確立していく戦略を思い描いていたはずだ。その証拠に、米国に対する関係改善へのシグナルをしきりに発していた。しかし、そうした算段も自らが放った気球一つで再び視界不良の状態に追いやられた。

 習近平氏も運が悪かったというふうにも言えないことはないが、台湾や太平洋に対する軍事的野心を抱くからこそ、ルーティン的に気球を飛ばしていたわけなので、自業自得と言えなくもなく、せっかくの米中関係改善の好機を逸した形だ。

 米バイデン政権も、台湾情勢の安定化のためにも習近平氏とのコミュニケーションを深めておきたい思いはあったが、議会も世論も厳しく受け止める気球問題に弱腰ではいられない。いわゆる「落としどころ」を探し出すのは当分先になりそうで、米中の関係改善は遠のいたと見るべきだろう。

●野嶋剛(のじま・つよし)

ジャーナリスト、作家、大東文化大学社会学部教授。1968年生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。朝日新聞社入社後、シンガポール支局長、政治部、台北支局長、国際編集部次長、AERA編集部などを経て、2016年に退社。中国、台湾、香港、東南アジアの問題を中心に執筆活動を行っており、著書の多くが中国、台湾で翻訳出版されている。最新刊は『新中国論 台湾・香港と習近平体制』(平凡社新書)。