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 日本シリーズも終わり、シーズンオフに入ったプロ野球。これから年末にかけて、各球団の契約更改のニュースがファンの注目を集めることになる。

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 一事業主である選手たちは、年俸アップに向けて、あの手この手で自身をアピールし、年俸ダウン必至の選手も少しでも下げ幅を少なくしようと、努力を惜しまない。

 そんな生活をかけた“金銭闘争”のなかで、時には選手自ら年俸ダウンを申し出ることもある。さまざまな事情により、自ら減俸を求めた男たちを紹介する(金額はいずれも推定)。

 自らNPB史上最大の減額を申し出たのが、2015年オフの巨人・杉内俊哉だ。

 FA移籍4年目の同年、ソフトバンク時代に痛めた右股関節を悪化させた杉内は、7月下旬に戦線離脱すると、そのまま6勝6敗、防御率3.95でシーズンを終えた。その後、10月に股関節を手術し、翌16年もシーズン前半の戦列復帰は絶望的となった。

 このような事情から、12月10日、契約更改に臨んだ杉内は「私から球団にお願いし、来年度については基本年俸をギリギリまで抑え、出来高で評価していただくことで了解をいただきました」として、年俸5億円から4億5000万円ダウンの5000万円プラス出来高でサインした。12年オフの小笠原道大(巨人)の3億6000万円を上回る史上最大の減給額だった。

「個人的には来年のできるだけ早い時期に戦線復帰したいと思っており、そのうえで、設定された出来高をすべてクリアすれば、『杉内は見事に復活した』と皆様に思っていただけるだろうと信じています」と早期復活を目指した杉内は、リハビリを経て、翌年7月24日の3軍戦で実戦登板をはたし、2軍戦でも4試合投げたが、1軍復帰ならず。

 さらに股関節をかばいながら投げているうちに、翌17年には左肩も痛め、2軍で3試合登板にとどまると、年俸は2500万円まで下がった。

 そして18年、3年間1軍登板ゼロで終わった杉内は「これ以上は自分のわがままになってしまう」と踏ん切りをつけ、現役を引退した。

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自ら“大減俸”を望んだ阪神の選手は?