廣瀬陽子教授(撮影/写真部・戸嶋日菜乃)
廣瀬陽子教授(撮影/写真部・戸嶋日菜乃)

 今年2月に勃発したロシアによるウクライナ侵攻。旧ソ連地域の研究に取り組んできた慶應義塾大学総合政策学部教授の廣瀬陽子さんは、湘南藤沢キャンパス(SFC)HPに掲載したコラム「おかしら日記」で、「紛争勃発前夜まで、私は『侵攻はない』と自信を持って主張していたのだ」とその衝撃を吐露している。世界中の研究者の多くが「侵攻はない」と見ていたにもかかわらず、なぜロシアはその一線を越えてしまったのか? 廣瀬教授に聞く。

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――廣瀬先生はじめ多くの研究者が「ロシアのウクライナ侵攻はない」と考えていた。なぜなのですか?

 私が知っている「ロシアのやり方」ではなかった。ひとことで言えば、それが理由です。

 1991年のソ連崩壊後、旧ソ連圏では数々の民族問題、それに起因する分離独立紛争が発生しました。プーチン大統領がその第二次紛争で頭角を現すことになったチェチェン紛争(第一次:1994~96;第二次:99~2009)もその一つ。結果、ロシア以外の旧ソ連の各地にいわゆる「未承認国家」が生まれました。この未承認国家を効果的に使い、「親国」とも言える旧ソ連の主権国家に揺さぶりをかけるのがこれまでの「ロシアのやり方」だった。今回の侵攻でも話題に上るウクライナ東部の2州、ドネツクとルハンスク(7月にロシアがルハンスク州の完全支配と作戦完了を宣言)もまさに「未承認国家」です。

 2014年、この未承認国家を形成する2州の親ロシア派武装勢力と未承認国家を国際法的には保持している主権国家である「親国」ウクライナ政府軍との紛争が勃発しましたが、その軍事衝突の停止を目的に締結された「ミンスク合意」には、2州に幅広い自治権を保障する内容が盛り込まれています。ミンスク合意が履行されれば、仮にウクライナがNATO加盟を望んだところで、国内のこの2州が反対すれば加盟は叶わない。未承認国家である2州をウクライナ国家に据えたままでロシアの影響下に置き続ける、それが最も安価にウクライナを縛り付けることができる効果的かつ有益な作戦だと思ったのです。

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それでも起きたウクライナ侵攻。その背景、理由とは