メタリカの『エンター・サンドマン』が流れる中、マウンドに上がる姿が印象的だったヤンキースのマリアーノ・リベラ(写真/gettyimages)
メタリカの『エンター・サンドマン』が流れる中、マウンドに上がる姿が印象的だったヤンキースのマリアーノ・リベラ(写真/gettyimages)

 野球とポピュラーミュージックは、今や「切っても切れないもの」という印象がある。日本のスタジアムなら流行のJポップ、Jロックに、少し前の時代のヒット曲、さらに、Kポップや洋楽等々、練習中から試合終了後までさまざまなジャンルの音楽が流れる。中でも選手がマウンドに上がる際、あるいは打席に入る際にかかる登場曲、いわゆる“出囃子”は何かと話題になることも多い。

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 この登場曲は英語ではwalk-up songと呼ばれるのだが、その歴史は海の向こうのメジャーリーグにおいてもさほど古くない。かつてはボールパークを彩る音楽といえば、オルガンというのが定番だったからだ。歴代のオルガニストの中でも有名な1人に、1970年から40年以上にわたってシカゴ・ホワイトックスのホームゲームで演奏を続けたナンシー・ファウストがいる。

 球団専属オルガニストとなって3年目の1972年、彼女が思いついたのが、打席に入る選手のイメージに即した曲を演奏するということだった。ある日、チームきってのスタープレーヤーであるディック・アレンがバッターボックスに入る際に人気ミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』のテーマを奏でると、なんとその打席でホームラン。以降もこの曲と共に打席に入ったアレンはア・リーグ本塁打王&打点王、そしてMVPに輝く活躍を見せ『ジーザス・クライスト・スーパースター』は「アレンの曲」として定着する。これこそが現在の登場曲の嚆矢と言っていいだろう。

 もっとも、オルガンの代わりにアーティストのオリジナル演奏や歌唱が使われるようになるのは、もう少し先の時代になる。1977年にエクスパンションで誕生したシアトル・マリナーズなどは、1990年代に入るとオルガンの生演奏を廃止して「ボーン」のあだ名で知られたジェイ・ビューナーにはジョージ・サラグッド&ザ・デストロイヤーズの『バッド・トゥ・ザ・ボーン』、救援のマイケル・ジャクソンには「キング・オブ・ポップ」の異名を取った同名シンガーの『スリラー』といった具合に、選手に合わせた曲を用意。選曲は球団が行い、1993年には出場全選手の登場曲を揃えるまでになったという。

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登場曲を“自分のもの”にした2人のクローザー