七尾城(石川県)の本丸。本丸から七尾湾や市街が見下ろせる。南端に土壇(天守台)があり、瓦は出土していないが天守相当の櫓が存在した可能性は高い。
七尾城(石川県)の本丸。本丸から七尾湾や市街が見下ろせる。南端に土壇(天守台)があり、瓦は出土していないが天守相当の櫓が存在した可能性は高い。

 城といえば、都市部に築城された平城や平山城の印象が強いが、江戸時代以前に築かれた城の大多数は、山城だった。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17では、城関連の著書も多い歴史学者・小和田泰経氏に自身が訪れた山城を「遺構の保存状態」「防御力」「登りやすさ」「交通アクセス」の4つの基準で採点してもらい、戦国最強で「訪れるべき」山城ベスト50を選出してもらった。ここでは、「防御力」が高かった城をピックアップ。前回配信の記事<訪れるべき「戦国最強」の山城を歴史研究家が格付けランキング!>で戦国最強の山城トップ5を分析したが、それ以外にも防御力が高い城はある。いったいどこか。

【まだまだある防御力が高かった城! 写真はこちら(計9枚)】

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小谷城(滋賀県)
信長を裏切り織田軍に攻め滅ぼされた城

 小谷城は、戦国大名浅井氏の居城である。浅井氏は、浅井亮政の代に京極氏を下剋上で倒して戦国大名化を遂げたものである。以後、久政・長政三代にわたって、北近江を支配した。

 この地域は南側を東山道(中山道)が通り、東山道から分岐して越前に向かう北国街道が城下を貫く。城は伊吹山に連なる麓からの高さ230mほどの小谷山に築かれている。山麓の清水谷には、浅井氏や重臣の屋敷が設けられており、谷の入り口は、土塁と水堀で守られていた。

小谷城(滋賀県)の本丸石垣。本丸には、天守台とよばれる土壇が築かれ、土壇南面には石垣も残る。この石垣は織田信長が攻略する前、浅井氏が構築したものとみられる。
小谷城(滋賀県)の本丸石垣。本丸には、天守台とよばれる土壇が築かれ、土壇南面には石垣も残る。この石垣は織田信長が攻略する前、浅井氏が構築したものとみられる。

 山上の曲輪は本丸を中心に、大広間・中丸・京極丸・小丸・山王丸などが連郭式に配置されている。ただし、曲輪の名称は江戸時代の絵図によるもので、当時の呼称は不明だ。曲輪間は堀切などで遮断され、斜面には竪堀が構築されている。

 なお、小谷城の本丸は、小谷山の山頂にあったわけではない。小谷山山頂には、大嶽とよばれる詰の城があり、また、谷を囲んで福寿丸・山崎丸などの曲輪も設けられていた。いずれも、浅井長政の時代に、織田信長との戦いに備えて構築されたものである。

 元亀元年(1570)、長政は信長に反旗を翻す。そのため、小谷城は天正元年(1573)に攻め落とされてしまう。その後、羽柴秀吉が在城するが、長浜城を新たに築いたため、廃城となっている。

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上杉謙信も攻めあぐねた北陸の城…