さらに3年時の10年には、ジュニアオリンピックの100メートルにも出場し、準決勝4位で惜しくも敗退したものの、同組だった後のリオデジャネイロ五輪銀メダリスト・桐生祥英を0秒19上回る11秒41を計時。17年のドラフト指名時に“桐生に勝った男”として話題になった。

 もっとも、島田自身は「あのとき桐生はけがをしていたので、勝ったうちに入らないですよ」と、“勝った男”と呼ばれることに困惑しており、桐生も「あれ?オレ、(全中200メートル優勝者の)日吉(克美)以外に負けましたっけ?」とまったく覚えていなかった。

 今季はレギュラー獲りをはたして、「彼に名前を覚えてもらえる選手になる」の目標を達成したいところだ。

 陸上の実績では島田以上と言えるのが、今季ドラフト2位で日本ハムに入団した“足のスペシャリスト”五十幡亮汰だ。

 埼玉・長野中時代は陸上部に所属しながら、東京神宮シニアの外野手としてプレーしていた異色の経歴の持ち主。もともと陸上は、「プロ野球選手になる」夢を実現するのに役立つと考えて始めたそうだが、その陸上でも類まれな才能が花開く。

 3年時の13年8月、全日本中学陸上選手権大会の200メートル決勝で、当時城西大城西中に在籍していたサニブラウン・アブデル・ハキームを0.04秒上回る21秒81で優勝。翌日行われた100メートル決勝でも、サニブラウンを0.05秒上回る10秒92で見事二冠に輝いた。

 サニブラウンは19年に100メートルで日本最速の9秒97をマークしており、五十幡も陸上を続けていれば、今でも良きライバルだったかもしれない。

 だが、佐野日大高進学後は、野球一本に専念。小学3年のときに癌で他界した母との「夢を叶えて」という約束を守るためだった。

 かくして、“サニブラウンに勝った男”は、“陸上界から消えた天才”となったが、五十幡は中大でも1年春からレギュラーとなり、ベストナイン2度、通算25盗塁の活躍で、見事プロ入りの夢を実現。「盗塁の技術はまだまだ」と謙遜するが、今度は周東佑京(ソフトバンク)に勝つことが目標となる。

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水泳で才能を発揮した選手も多い?