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天龍源一郎が語る“同世代プロレスラー” 藤波辰爾、長州力への思いとハンセン、ブロディからのアドバイス

連載「70歳からのはっけよい!」

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天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)

昨年2月のアントニオ猪木氏の77歳喜の寿のお祝いのステージにて(撮影/小暮誠)

昨年2月のアントニオ猪木氏の77歳喜の寿のお祝いのステージにて(撮影/小暮誠)

 50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。2020年2月2日に迎えた70歳という節目の年に、いま天龍さんが伝えたいことは? 今回は「同世代プロレスラー」をテーマに、飄々と明るくつれづれに語ります。

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*  *  *
 昨年2月に日本プロレス殿堂会を立ち上げて間もなく1年が経つ。今回は一緒に立ち上げ人になった同世代のプロレスラーである藤波辰爾選手、長州力について少し話そうかと思う。

 藤波選手は殿堂会について話をしていて、一番常識的で、普通に人に伝わって、ファンに寄り添った話ができる人物だ。俺と長州は突拍子もないことを言うけど、それもちゃんと反映して発信してくれるんだから頼りになるよね。さすが、新日本プロレスの社長を任されただけはある。俺がフリーで新日本プロレスの試合に出ていた頃、彼は社長という立場だった。俺が若い選手と汗まみれで試合をしている中、彼は社長として試合を差配して、俺に会っても「ご苦労さま! 今日はよろしく頼むよ!」なんて言って試合を見ているんだから。同世代の選手がそうなっているのを見ては、そうなりたくてもなれない自分と比べてしまって忸怩(じくじ)たる思いをしたもんだ。だから、藤波選手が社長を辞めて現役復帰したときは大いに喜んだよ(笑)。

 彼はからだが大きくない割に懐が深くて、プロレスの引き出しが多い人だ。そしてなによりガッツがある。柔道や相撲から転向してプロレスラーになる場合は地域や周囲の関係で勧誘されることも多いが、藤波選手はプロレスラーになるために中学卒業と同時に大分県から上京したからね。イスで殴られて血みどろになっているプロレスラーを見て、“俺もなりたい”って、普通の中学生だったら思わないよ(笑)。だから肝が据わったところがあるのかな。

 それに藤波選手はいろいろな技を開発しているけど、どれも理にかなっているというのも特徴だ。例えばドラゴンスリーパーホールド(※相手の背後から顔面と片腕を絞める技)は柔道の絞め技やテコの原理を応用している。ドラゴンスクリュー(※相手の片足を抱えて巻き込むようにからだごと回転して倒す技)はアマレスの片足タックルを元にカール・ゴッチさんと開発したとそうで、食らった方が無理に踏ん張ると足首をやられるから倒れざるを得ない。俺もこの技を使わせもらったよ。俺はアントニオ猪木さんの延髄斬りやこのドラゴンスクリューとか、なんでも人の技をコピーして使っていたから(笑)。


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