揺らぐ盟主の座…巨人が2年連続の屈辱、“時代遅れ”のチーム強化が招いた悲劇 (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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揺らぐ盟主の座…巨人が2年連続の屈辱、“時代遅れ”のチーム強化が招いた悲劇

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西尾典文dot.
2年連続での屈辱を味わった巨人の選手たち (c)朝日新聞社

2年連続での屈辱を味わった巨人の選手たち (c)朝日新聞社

 昨年に続いてソフトバンクが4連勝で巨人を下して日本一に輝いた今年の日本シリーズ。パ・リーグとセ・リーグの実力差を指摘する声は多いが、このような事態は今年初めて起こったものではない。むしろ古くからのプロ野球ファン、巨人ファンは既視感を覚えた人も多かったのではないだろうか。

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 パ・リーグが圧倒的な優位となっていたのはおよそ30年前。当時球界を席巻していたのは西武で、1990年の日本シリーズでは巨人を4連勝で破って日本一に輝いている。この前後を振り返ってみると、西武は近鉄に優勝をさらわれた1989年の前後3年間で日本シリーズ3連覇を二度達成。セ・リーグはどの球団がリーグ優勝しても西武には勝てないという状況だった。

 この常勝西武を築き上げたのが根本陸夫である。そして根本が駆使したのが大型トレードとドラフトでの裏技だった、1978年に西武の前身であるクラウンライターの監督に就任すると田淵幸一、山崎裕之といった大物をトレードで次々と獲得。更に新人獲得においても秋山幸二をドラフト外ながら破格の条件で獲得、伊東勤は練習生として囲い、社会人に進むと言われていた工藤公康をドラフト6位で指名といった数々の裏技を繰り出して後の主力選手をかき集めてみせたのだ。このような形で獲得した選手は数年後に揃って主力となり、チームを支える存在となっている。

 西武に選手獲得で大きく後れをとった巨人が主導で導入されたのがドラフトの逆指名とFA制度である。いずれも1993年オフから導入され、この制度によって巨人は豊富な資金力で他球団の主力選手と有望な新人選手を獲得することが可能になり、2000年代には3度の日本一を成し遂げることになる。この時に主力となっていたのが逆指名制度で獲得した上原浩治や阿部慎之助、FAで獲得した小笠原道大だった。一方のパ・リーグでは根本が西武からダイエーへと移り、巨人と同じやり方でチームを強化。1999年、2003年に日本一に輝いている。


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