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「あの球団はいやだ」が一転…選手の入団拒否を覆した監督の“驚くべき行動”

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久保田龍雄dot.
見事な行動力で選手を口説いた近鉄・佐々木恭介監督 (c)朝日新聞社

見事な行動力で選手を口説いた近鉄・佐々木恭介監督 (c)朝日新聞社

 メジャー志望のドラフトの超目玉を見事な交渉術で口説き落としたのが、2012年の日本ハムだ。

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 最速160キロ、通算56本塁打の“二刀流”大谷翔平(花巻東)は、ドラフト前に「入学当初からの夢だった。若いうちに行きたい思いがあった」とメジャー挑戦を表明していた。

 ところが、各球団が指名を見合わせるなか、日本ハムは敢然と大谷を1位指名する。前年は巨人と相思相愛の菅野智之(東海大)に入団拒否されたにもかかわらず、2年連続のサプライズ指名。だが、大谷は「自分の気持ちは変わりません」と、指名挨拶にも応じようとしなかった。

「確信はゼロだった」という日本ハム側だが、「不可能を可能にする」努力を惜しまなかった。大渕隆スカウトが「夢への道しるべ~日本スポーツにおける若年期海外進出の考察~」と題した30ページにも及ぶ提案資料を作成。山田正雄GMとともに、大谷の両親と交渉に臨んだ。

 同資料は、韓国なども含めて、早期渡米した選手が長期にわたって活躍した例がないことを統計データ化し、「いきなり世界へ飛び込むより、日本国内で形をつくってから海を渡ることが成功への近道」と結論づけていた。はたして、大谷は興味を示した。

 この機を逃さず、日本ハム側は、本人も同席した1週間後の再交渉で「エース兼4番として育てたい」と二刀流育成プランを示す。「渡米したら、二刀流は諦めざるを得ないかもしれない」と悩んでいた大谷にとって、魅力的な提案だったのは言うまでもない。

 そして、3度目の交渉から栗山英樹監督も同席。「一緒に(メジャーで成功の)夢を叶えたい。どうやったら手伝えるのか」と熱い思いを親身になって訴えたことが、大谷の心を強く揺さぶった。

「球団やプロ野球の良さ、すべてを伝えてもらったので、(結論を)決めるうえでの判断材料になった。新たな発見もあった」。

 4度目の交渉後、日本ハム入団を決めた大谷は、栗山監督の下で5年間、二刀流の形をつくり、17年オフ、ポスティングシステムでエンゼルスに移籍。“道しるべ”の最短ルートで、MLBトップになる夢を実現した。


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