熱さが裏目に出ることが多かった浦和のアルパイ(右) (c)朝日新聞社
熱さが裏目に出ることが多かった浦和のアルパイ(右) (c)朝日新聞社

 新型コロナ禍の中で開催が続いているJリーグ。得点ランクトップを柏レイソルのFWオルンガが突っ走り、首位を独走中の川崎フロンターレではDFジェジエウが存在感を示すなど、外国人選手の活躍はチームに欠かせない。これまでも数多くの外国人選手たちがJリーグでプレーしたが、その中には気性が荒く、常にレッドカードの危険と隣り合わせで“ハラハラさせた”男たちも多い。

 最初に思い出されるのが、 “ピクシー”の愛称で親しまれたストイコビッチだ。ユーゴスラビア代表の世界的名手で、1994年夏の来日から2001年夏まで名古屋の攻撃を担い、華麗なテクニックと創造性あふれるプレーでファンを沸かせ続けた。

 しかし、その一方で通算8年間でイエローカード69枚、退場処分13回。試合中の“熱さ”が悪い方向にでることも多かったストイコビッチは、1994年のJデビュー戦では開始18分で2枚のイエローカードをもらって退場、1996年には中村忠(東京V)を頭突きして3試合出場停止、1997年には出されたイエローカードを奪い取って主審に逆提示する侮辱行為で4試合出場停止などの処分を受けた。その気性の荒さも含めて多くのファンに愛された。

 ビクシーは“善”の面が多かったが、“悪”の面の方が目立ってしまったのが、大分、札幌、横浜FMでプレーしたFWウィルだ。鋭い得点感覚と正確無比な左足を武器とした天性のゴールゲッターだったが、気性の荒さがピッチ上で悪い形で現れることがしばしばで、横浜FM時代には故意に相手を負傷させ、2002年の磐田戦では思うようなパスがもらえずにフラストレーションを溜め、試合中に味方選手(奥大介)に蹴りを入れる前代未聞の暴行を働いた。

 この事件ですっかり“ダメ外国人”のレッテルを貼られることになったが、選手としての能力に疑いの余地はなく、J1得点王に輝いた2001年の札幌時代などはサポーターとも強固な信頼関係を築いていた。ピッチ上で「得点と警告」、「善と悪」を同時に匂わせる姿は、魅力的でもあった。

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Jリーグの“基準”に苦しんだのは?