たとえば食品と健康の関係について調べてみれば、たくさんの情報が押し寄せてくる。ナッツはやせる、赤身肉と加工肉は大腸がんを増やす、トランス脂肪酸は心血管疾患を増やす……。しかしそれは統計的な差でしかない。自分ひとりの人生で実感できるものではない。「健康のため」だけを考えてあらゆる情報を真に受けていたら、人はまともに生活できない。

「だから情報を精査するのではなく、情報をシャットアウトする。健康に関する情報はあふれているから縮減すべきだと考えました。この本のタイトルも『「健康」から生活をまもる』ではなく、『「情報」から生活をまもる』でもよかったんです」

 テーマは学生のころから考えていたことだった。医学部の教科書は「正しい医療情報を提供すれば、患者は医者と同じように考えるはず」という立場で書かれていた。「患者の意見をよく聞きましょう」というわりに、健康を押しつけようとする態度に違和感を覚えた。

 それからしばらく医療からは離れていた。健康と生活の関係について思い出したきっかけは2011年の原発事故だ。

「あの時、人々はふたつに分かれていました。『ゼロリスクを望むのはおかしい』という人と、『健康のためにはなんでもやるべきだ』という人です。そのふたつが重なって、放射能パニックのようなことが起きていました。それが衝動的に表れたのが福島県の大規模甲状腺検査です。リスクがあるかないかという観点で話をすると、甲状腺がんにはならないほうがいいという仮定から抜け出せなくなる。

 しかし甲状腺がんのほとんどは進行が遅く、悪性度は低い。対して、検査が続いていることによって、地域の人たちは絶えず『私はがんになるかもしれない』という不安をかき立てられることになる。リスク回避や健康第一とは違う観点が必要なのではないかと考えていました」

 とはいえ、「健康第一は間違っている」と言いたいわけではない。「健康第一」という価値観を尊重しつつ、それが支配的になることによって失われてしまう自由を取り戻そう、というところに力点を置いている。

「ニセ医学vs. 正しい医学の対立が不毛だと思っていたことの延長なんです。『医学的に正しいことを信じない人は悪だ』と言い続けても、そんな話は誰も聞いてくれない。医学に限らず何についてもそうで、いろいろな人が自分の“第一”を持っているという世界観を浮かび上がらせたかったんです。だから健康第一であろうとすることも間違いであってはいけない。哲学者の東浩紀さんが著書『哲学の誤配』で『ゲームの複数化』が必要だということを言っています。健康第一のほかにも〇〇第一などさまざまなことを言っている人がいて、その複数が併存する状況をつくらないといけない」

 健康と生活、安全と自由のバランスが議論される今、この本をどんな人に読んでほしいか。

「健康ではなく生活を重視して、外に出たいと思っているのに後ろめたい気持ちを持っている人に読んでほしいです。健康リスクはみんなもっていて当たり前。しかもある程度は他人に害を与えるリスクも許容しあいながら生きている。そもそも社会とはそういうものだったのではないでしょうか。自粛ができなかった・しなかった人たちに、そのようなメッセージを伝えたいです」

(文/白石圭)