――そうした学習法はご自身の経験から生まれたものでしょうか?

 高校時代の私はバスケットボールに夢中で、本気でNBAの選手になりたいと考えていました。全国大会出場など、ある程度の実績は残しましたが、今考えるとちょっと無謀な高校生でした。とはいえ、その頃はNBA挑戦しか頭にありませんでしたので、高校卒業後は迷わず米国への留学を決めました。そもそもそうした経緯での留学でしたので、本気で英語を勉強しようという思いはなく、渡米後は毎日バスケットボールばかりやっていました。不思議なことに、きがついたらバスケットボール英語がペラペラになっていたんです。「パス出せ」とか「俺に行かせろ」とか「いいプレーだった」とか。その程度のレベルでしたが、米国人とバスケットボールをするうえで不便なことはなくなっていました。

――渡米前にある程度の英語力があったのでは?

 ほとんどゼロでした。偏差値は30台でしたから英語なんて「サンキュー」レベルしかわかりませんでした。

――そこから数年でUCLAへ入学するというのは驚きです。
 
 渡米してバスケットボールをしながら語学学校に通い、その後、短大に入学しました。米国には短大に2年間在籍して、いい成績を修めると4年制の大学に入学できるシステムがあります。そのシステムでは、大学入学時の試験はなく、短大時代の内申点的が基準となり評価されますので、UCLAに入学できたのだと思います。ただ短大時代はやはり努力を重ねました。 
 
――UCLA出身のNBA選手はたくさんいますが、山内さんもバスケットボール部に所属されたんですか?

 いえ、その頃にはNBAへの夢を諦めていました。高校3年生で練習をしすぎて疲労骨折を経験していたんですが、その傷が短大時代に悪化して、大学進学前にプロへの道は諦めました。でも米国の生活は楽しかったですし、UCLAで勉強を続けようと決心しました。博士号コースに進むかどうか悩みましたが、最終的には起業の道を選びました。

――その理由を教えてください。

 実は父が実業家で、妻の家族にも実業家が多く、当時、周辺にいた人に起業家マインドを持つ人が多かったんです。その影響だと思いますが、私も漠然と「社長になりたい」と考えるようになりました。自分に何ができるかを考えた時に、「偏差値30からUCLAに入学することができた。同じような道を歩みたいと思う人も少なくないはず」と考え、そうした人たちのサポートをしてみようと考えたんです。

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