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頑として離婚を受け入れなかった夫が、25回目の引っ越しで下した決断とは?

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小林照子(こばやし・てるこ)/美容研究家。ヘア&メイクアップアーティスト。1935年、東京都生まれ。東京高等美容学院を卒業後、小林コーセー(現・コーセー)に美容部員として入社。数々の大ヒット商品を手掛け、85年、同社初の女性取締役に就任。その後独立・起業し、美容ビジネスの企業経営や後進を育てる学校運営をおこなっている。『人生は、「手」で変わる。』(朝日新聞出版)、『これはしない、あれはする』(サンマーク出版)、『小林照子流 ハッピーシニアメイク』(河出書房新社)ほか著書多数(撮影/写真部・片山菜緒子)

小林照子(こばやし・てるこ)/美容研究家。ヘア&メイクアップアーティスト。1935年、東京都生まれ。東京高等美容学院を卒業後、小林コーセー(現・コーセー)に美容部員として入社。数々の大ヒット商品を手掛け、85年、同社初の女性取締役に就任。その後独立・起業し、美容ビジネスの企業経営や後進を育てる学校運営をおこなっている。『人生は、「手」で変わる。』(朝日新聞出版)、『これはしない、あれはする』(サンマーク出版)、『小林照子流 ハッピーシニアメイク』(河出書房新社)ほか著書多数(撮影/写真部・片山菜緒子)

※写真はイメージです(Gettyimages)

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 人生はみずからの手で切りひらける。そして、つらいことは手放せる。美容部員からコーセー初の女性取締役に抜擢され、85歳の現在も現役経営者として活躍し続ける伝説のヘア&メイクアップアーティスト・小林照子さんの著書『人生は、「手」で変わる』からの本連載。今回は、「卒婚」のハシリだった小林さんが、50歳にして新たな夫婦の形を選んだ体験を語ります。

*  *  *
「卒婚」というのは、離婚はしないで、夫婦がそれぞれの人生を楽しんでいく形態のことをいうそうですね。夫婦が別居している場合もあれば、家庭内別居をしている場合もあるとか。そういった意味では、私は「卒婚」のハシリだったのかもしれません。ただ私たち夫婦の場合は、それぞれが人生を楽しむための選択ではありませんでしたが。

 私が夫と別居したのは、50歳のときです。私は29歳で出産してからは常に「職・住・学」近接を心がけてきたので、引っ越しは50歳になるまでに24回しました。

 48歳のときにメイクアップスクールの校長になりましたが、あるとき、その学校が移転することになりました。そこで私も学校の近くに新しい住まいを探したのです。それまでは家族3人で一緒に暮らしてきましたが、娘はちょうど留学したところ。また、夫はその頃、住まいから近いところで会社を営んでいましたから、いまの住まいから動くメリットはありません。

「もう子どもも大きくなって、私たちの元にいるわけではないしね」

 私と夫は話し合って、私はひとりで新しいメイクアップスクールの近くに住むことにしました。

 30代、40代というのは、仕事人生の一番の伸びどきです。私は毎日毎日時間に追われるような日々を送っていました。家に帰ったら、娘のことが最優先。夫は自営で新しい会社をつくり、業績を伸ばしていました。夫も仕事が忙しそう。私も何か手伝わなければと思うのですが、それはまったくできない状況です。そういった状況がだんだん心苦しくなり、私は40代の頃、何回か夫に離婚を申し入れました。

「お父さん、私たちはお互いに憎みあっているわけでもなんでもない。でも、私たち、もう別れた方がいいと思うのよ。だって、私はあなたのために何にもしてあげられないんだもの。あなたの仕事を手伝ったりすることもできないし、あなたのためにごはんをつくってあげることもできない。そういうの申し訳なくて。悪いなあって思って」


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