同じく2017年には4年前に引退したばかりだった元サイ・ヤング賞右腕ロイ・ハラデーが自ら操縦する小型飛行機の墜落事故で死亡(享年40)。通算203勝、完全試合やノーヒットノーランも達成したハラデーは、その死から2年後の2019年に殿堂入りを果たしている。

 長距離移動に飛行機を使うケースの多いスポーツでは、チーム単位で墜落事故に巻き込まれてしまった事例も珍しくない。とくに有名なのは1958年にドイツのミュンヘンで起こった事故で、イングランドの名門クラブとして知られるマンチェスター・ユナイテッドの主力選手8人を含む23人が亡くなった。最近でも2016年にはブラジルのシャペコエンセの選手ら77人が乗ったチャーター機がコロンビアで墜落。71人が亡くなる大惨事となった。

 移籍が決まった直後の事故死が、クラブ間のもめごとに発展した例もある。フランス・リーグアンのナントでプレーしていたエミリアーノ・サラは2019年1月にイングランド・プレミアリーグ(当時)のカーディフへの移籍が決定。しかしその2日後の1月21日にナントからカーディフへ向かった小型飛行機が墜落し、サラは帰らぬ人となった。

 問題が生じたのは、実際にはカーディフでプレーしなかったサラの移籍金支払いにカーディフが難色を示したため。カーディフは国際サッカー連盟からの支払い命令にも不服だったため、現在はスポーツ仲裁裁判所(CAS)の審議待ちとなっている。

 日本にも現役半ばで亡くなったアスリートたちはいる。サッカーの日本代表でも活躍した松田直樹はJFL(当時)の松本山雅に所属していた2011年8月、練習中に急性心筋梗塞で突然倒れ、そのまま亡くなった。34歳だった。

 プロ野球でも、1999年にダイエー(現ソフトバンク)でパ・リーグ最多ホールドをマークして日本一に貢献した藤井将雄が、肺がんのため翌2000年10月に31歳の若さで死去している。

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やりきれないアスリートたちの突然死