「お金を払っても乗れないような“レア企画”を出し続けたい」と語る大塚雅士氏。12月にはお座敷列車「華」に乗るツアーを企画している(撮影/大野洋介)
「お金を払っても乗れないような“レア企画”を出し続けたい」と語る大塚雅士氏。12月にはお座敷列車「華」に乗るツアーを企画している(撮影/大野洋介)
特製の「サボ」を手に、鉄道への情熱を語る大塚氏(撮影/大野洋介)
特製の「サボ」を手に、鉄道への情熱を語る大塚氏(撮影/大野洋介)

 企画したツアーは連日満席。キャンセル待ちが数百人規模になることもあるという鉄道ツアーのヒットメーカーがいる。クラブツーリズムの大塚雅士氏(51)だ。貨物車両専用で、通常の旅客列車では走ることのない「貨物線」を、半日かけて周る「貨物線ツアー」がコアな鉄道ファンから支持を集めている。企画内容もさることながら、今では「大塚雅士の企画」を目当てに、同氏のツアーに10回以上参加しているリピーターも多いという。

【写真】鉄道ツアーのヒットメーカー大塚雅士氏

 幼いころから鉄道好きだった大塚氏だが、「就活で鉄道会社は全滅でした」と話す通り、ここまでの道のりは順風満帆なものではなかった。名物プランナーはいかにして誕生したのか――。

*  *  *

 1968年10月、国鉄が戦後4度目となる大幅なダイヤ改正を行った。俗にいう「ヨン・サン・トオ」である。その同月、大塚氏は東京都足立区で生まれた。家の近くには常磐線・日比谷線・京成線が通る。子どものころ、両親に連れられ車で墓参りに行く際は線路沿いをよく走った。ヘビースモーカーだった父が車内で吸う煙草は嫌いだったが、車と並走するように走る電車を観るのは、少年の楽しみな時間だった。

 そんなとき、電車が一度も通らない踏切があることに気づいた。何のための線路なのか。幼心にずっと気になっていた大塚氏が中学生になったころ、そこは新小岩と金町を結ぶ新金貨物線だということを知った。

「周りの友人たちは、鉄道に興味がない人ばかりでした。それでも私は入場券(切符)を集めるのにハマっていました。電車に乗ってどこに行こうかと地図を見ると貨物線の路線が書いてある。都内には結構いっぱい貨物線があるんだと気づいたんです」

 大塚氏の叔父は当時、国鉄の職員だった。家には鉄道で使われる、行き先が表記されたプレート「サボ」がいくつも転がっていた。そんな環境で育った大塚氏にとって、鉄道に興味を示すのは自然な流れだった。

「私が子どものころは近所を走る京成線に行商専用列車っていうのが走っていて。商いの荷を運ぶための車両なので、一般客は乗れないのですが、それを知ったうえでわざと乗ろうとしたら『ダメだよ坊や!』って怒られました(笑)」

次のページ