批判を受けたこともあり、市は、アリーナを災害が起きる前から避難できる「自主避難所」に指定。台風15号による破損箇所を修理したうえで、避難所の運営に市の職員が関与できる仕組みに変えた。台風19号の時は、台風が上陸する前日の11日午後3時からアリーナの一部を避難所として開放した。ところが、避難所として使用できたのは台風が過ぎた後の13日午前7時まで。この頃には台風は関東地方を通過していたが、神栖市は利根川の河口に位置するため、上流域より水位が上がるのが遅い。浸水被害が出たのも満潮と重なった13日午後になってからで、海に近い地域では洪水警報も出ていた。市に「洪水警報が出ているのにアリーナを開放しないのか」と問い合わせる市民もいたが、市は「洪水警報が出た地域はアリーナから遠く、近所で安全な施設を避難所にした」という。



 では、アリーナは避難所として十分な機能を持っていたのか。台風19号の時にアリーナに避難した60代男性は、こう話す。

「避難者が案内されたのは、体育館の観客席。フロアは使えず、ほとんどの人が通路で寝ていました。毛布と乾パンは配布されたものの、500人ぐらいの人がいたのに、ゴミ箱も避難者が指摘するまでなかった。フロアは後になってから使えるようになったようですが、防災施設なのに対応はこんなものなのかと思いました」

 市民から不満の声が相次いでいるのは、別の理由もある。アリーナの建設計画をめぐっては、施設整備や運営費に巨額の費用がかかることから、建設反対の声が強かった。2017年10月には住民投票が行われ「見直し」を求める票が多数を占めた。さらに、同年11月の市長選では防災アリーナの建設が争点となり、建設反対派の石田進氏が勝利。しかし、すでにアリーナの建設は進んでいたことから、石田氏は市長就任後に計画の見直しを断念した。こういった経緯も市民の不信感につながっている。神栖市役所の関係者は、こう話す。

「もともと市役所の中でも、『この施設で本当に防災拠点として機能するのか』といった意見はありました。それでも、最終的には『上が決めたことだから』という理由で、計画が進んでいった。防災施設という名目にしたほうが補助金が得られやすかったのでしょうが、実際にはほとんどがスポーツ施設。民間企業が運営している以上、市としては災害時に指示を出すのも難しい。スタッフも防災の専門家が経営しているわけではありませんから」


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防災拠点として機能するのはいつになるのか