幡野:がんになると、最終的には家族関係が如実に出てきます。そもそも最終的には、家族の判断で治療方針が決まってしまいますから。医療の中心に本人ではなく家族がいるというのは問題だと思います。

 親子関係が完璧にできていて本当に信頼できるのであればそれでいいのですが、本人が望まないことをしてしまうのが一定数あるし、それによって後悔してしまう家族もいます。

大塚:医者は家族のほうを向いて話すことが多いですよね。

幡野:あれはなんでなんですか?

大塚:がんなどの大病を患い、その苦しさを自分でも体験した医者というのはあまりいません。ただ、自分の身内ががんになったとか、身近な人が大病を患ったなどの経験をした医者はいます。となると、医者が気持ちを理解しやすいのは、患者ではなく家族なんですよね。だから治療方針の説明も家族に向けてしてしまうのではないかと思います。

幡野:医者も家族と同じ状況になったことがあるから、感情移入しやすい。たしかに言われてみればそうですね。なるほど。

大塚:あとは亡くなってしまった後に、家族とのトラブルを望まないというのも大きいとは思いますね。幡野さんが本音を言うようになって、「患者さんはそういうことを考えていたんだ」とはじめて気づいた医療従事者は多いと思いますよ。つまり医療従事者はまだ、そんなに患者の気持ちに寄り添えていない。でも家族側の気持ちは最低限、理解できる。それを踏まえてどう医者が診療していくか。

幡野:がん患者同士で話すと、一番出るのは家族と医者の結託に対する不満なんですよ。診察室では、医者と家族だけが将来について話している。本人はお荷物感があって何も言えない。でも本来、医療は患者のためであり、自分の死を看取る家族のためだと思うんですよ。

 僕が望まない治療をして死んだら、家族も後悔してしまいます。それは家族の生きづらさにもつながってしまうから、患者は医者を気遣うことは必要ないと思うんですよね。

大塚:実は幡野さんの本を読んだり話したりしているなかで、僕の医者としての姿勢が変わりつつあるんです。この仕事をしていると、患者さんとご家族の意見が分かれる場面にしばしば直面します。僕はそんな時、家族側の意見を多く採用していました。

 先日発売した『心にしみる皮膚の話』にも書いたのですが、昔、僕の彼女が大病を患って入院したとき、連絡が取れなくて心配で、何とか助かってほしいと願っていました。だから僕は当時の、身近な人が大病を患ったときの気持ちをずっと抱えながら医療をしていたんですね。

 ただ、いまは患者自身がどうしたいかを聞き、その意見を家族に理解してもらえるように、仲介できるような役目を担おうと考えています。「患者さんはこう思っているので、家族の方も、本人が望む形で応援しませんか?」という提案を心がけています。

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「医者ほど死に弱い職種はない」(幡野)